実は自分もよくわからないのだ。。。
いろんな文献に目を通してもどれが正解なのかわからないし、
自分が体験したわけでもないので偉そうに語れるものでもない。。
ただ、前に卓袱について記した文章へのコメントに
「次は普茶だね!」って書き込みがあった以上、素通りはできないのである。
lavarieさんがおっしゃるとおり、
料理史の流れに登場するのが卓袱料理に変わる普茶料理なのである。
日本人の元来マネする習性は今も昔も変わらない。。
ただ、純正ではなくいろいろアレンジしていくのが好きなのかもしれない。
長崎を中心に発達?した卓袱料理も江戸や京都では姿を変えていった。
それがいわゆる普茶なのである。
普茶とは書いて字の通りお茶を万人にふるまうことである。
その精神に併せ持って形成された精進料理。
普茶はその精進料理に近いものがあったのかもしれない。
ただ、精進料理が作る側と食する側との修行という精神に対して
「食を楽しむ」という要素を加えた料理といってよいかもしれない。。
したがって材料の面では精進料理に近いのだがポリシーが異なる。
そんな風にも解釈できるかもしれないね!
ちなみに料理の特徴であるが豆腐や胡麻油が基本で
あとは野草や花を使っていろんなメニューを開発していたようだ。
主なメニューの中身は
箏羹(しゅんかん)・油慈(ゆじ)・麻腐(まふ)・雲片(うんぺん)
そして擬製料理(精進材料で魚や肉に似せて代用品を作る)
これらのメニューについては★こちらのお店のHPに詳しい説明がある。
現代のメニューではあるが近いものかもしれない。
それにしても面白いのは擬製料理だね!
とくにうなぎの蒲焼に興味津々~
豆腐をすったものにおろした山芋を加えまぜて形作り、海苔を片面に貼って
油で揚げてさらに照り焼きにする。。
なんともお調子に思えるおもしろい製品だ。
おそらく海苔はうなぎの皮に見立てたんだろうね~~
ほかにも鶏や豚肉に替わるいろんな製造があったようですが。。
たしかに面白いとは思うのだが毎度の集客には無理があると思う。。
普茶が普通の会席料理の方向に戻っていくのにもそう時間はかからなかった。
今の飲食店と同じである。
当初は興味本位で集客できたとしてもメニューに長く続けれる魅力がなかったこと、
また、お酒やコンパニオンを必要としない宴席であったようなので
客単価も伸び悩み大きな売り上げも見込めなかったのではないだろうか?!
今の時代の都市部なら人口も多く、客単価も見込めそうな気がするのだが。。。
そして余裕のある人にとっては面白い宴会と言えるかもしれないにゃ~~~
以上、簡単でありおまけに主観も含めた書き込みなので
どうか適当に読み流していただければありがたいなり。。。