ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

SF「未来書店物語」 №4 <電子書籍>

2010-11-07 | Weblog
 本屋のオヤジの片瀬は、2010年からブログをはじめた。ブログのタイトルは「未来書店―片瀬五郎の京都から」 
 暇で小さな町の本屋である。レジ横で、パソコン相手に日記を書いて発信するのが、趣味習慣になってしまった。開店当初の1990年のころは、そこそこの売上もあり、妻の文子も店番をしてくれた。子どもふたり、娘の洋子、2歳下の息子の伸介も、小学生のときから店番を引き受けた。公立学校に通うふたりは学費も少なく、細々暮らす分には生活に苦労もない。
 ところがその後、日商がどんどん減ってきた。1996年までは全国統計と同じく、右肩上がりだったのが、20世紀の末ころから、売上は落ち込んでいった。最近では、食べていくのがやっとの状態である。雑誌の配達もはじめた。近所の喫茶店、美容院、医院などに発売日の朝に自転車で配達する。
 数年前、大通り三条街道沿いに開店したコンビニに、まず雑誌客を奪われた。相手は24時間営業である。未来書店は朝10時から夜8時まで。セブンイレブンは本来、7時~23時営業から「セブン~イレブン」なのだそうだが、実態は店名偽称だ。「ゼロ時~24時営業」である。煌々と過剰照明を浴びた店舗は、年中無休で瞬時も休まない。雑誌にたよる町の書店の受けたダメージは著しい。「少年ジャンプ」も「ヤングコミック」「モーニング」「ポスト」も女性誌も、ほとんどの雑誌売上が激減してしまった。
 超大型店もバブル崩壊のころから、都市中心部に進出してきた。片瀬は京都四条に出店した全国チェーン展開のジャンク書房をみて驚いた。巨大な象か鯨と、蚤か蟻をわが身に置きかえたほどのショックであった。

 「どうすればアリンコのような零細書店は存続できるのか…?」 片瀬は毎日のように考え考え、そして考え抜いた。得るものがありそうであれば、若者からでも請うて意見を求めた。誰からでも、斬新な考えを受けた。そして彼は、自分なりの結論に辿り着いたのである。
 「ITの時代、どんどん広がる電子書籍・Eブックの流れに、逆手を取って乗るしかない」 2010年のことであった。先代の前川が開いた「未来書店」を1988年に片瀬が引き継いで、すでに20余年が経っていた。
 2010年は電子書籍元年と呼ばれ、紙に印刷された新聞雑誌書籍ともに、無くなりはしないだろうがどれもが凋落し、その内に過半を電子媒体が取ってかわるであろうと、声高に叫ばれた年である。
 コンピュータの歴史をみても、メインフレームすなわち汎用機が曲折を経ながらもパソコンにとってかわられ、つぎに携帯電話のスマートフォンの時代を迎えた。そして机上型パソコンは<E板>携帯型タブレットPCに、翌2011年あたりから本格的に移行し出した。E板もスマートフォンのOSも、ググールのアンドロードが主流になりそうである。コンピュータの第4次大革命が始まった。メインフレーム=パソコン=ケータイスマートフォン=携帯タブレット型多機能端末(片瀬の言うEバン・イー板)。パソコンという言葉はついに死語になりつつある。

 本屋の片瀬にとって、電子書籍・Eブックは敵ではない。電子書籍云々が叫ばれるずっと前から、中小零細書店は苦境に陥っていたのである。「本屋は本をお客さんに提供するのが使命である。それが紙Rリアルであろうが、電子Eであろうが、そんなことはどうでもいい。お客さんに喜んでもらうのが、いちばんであり、それが生きがいである」 片瀬は自分なりの結論に達した。

 彼は店からの帰路いつも、すきな散歩道を歩く。三条白川の小橋から白川沿いに、祇園新橋近くの中古マンションの自宅まで南に向かう。ゆっくり歩いても15分ほどの距離だが、川沿いの柳の並木道、風に揺れる細枝の柳緑が頬をなでる。何とも心地よい。
 片瀬はつぶやいた。「前川さん。やっと未来の書店がをやれるという確信がわいてきたよ。見守ってください」 翌日、妻の文子に店を任せ、片瀬は北山山中の静かな谷にある前川の墓へ、久しぶりの焼香に行こうと決めた。
<2010年11月7日 この物語はフィクションです。隔日集中連載予定。 続く>
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