片瀬五郎の娘、洋子はもう31歳である。弟の伸介のふたつ上。彼女は食堂兼居酒屋、藤島の若女将として、一応は順調なスタートを切った。片瀬夫妻は「仕事に燃えるのはいいことだが、そろそろ齢のことも考えてもらわねば」とも思う。
それにしても、洋子は新しい企てを開始するに当たって、コンチャンこと傘寿の近藤大助を藤島の顧問格に据え、町内会の世話人や工務店の安田三郎、そして元市会議員をつとめ地元婦人会を束ねる山本千代までを、ビューティペアの企画改革の仲間に巻き込むことに成功した。
人間は齢をとれば、たいていが頑固になる。保守的な高年老年者のほとんどが、変化を好まない。また長年月の人間関係のしがらみから「あの人は好きだが、この人は嫌い。口もききたくない」「あの人が来るんだったら、うちは行かない…」「気の合わないひとと一緒に食事したくない」
仲良くみえる古井町とその近辺の地域だが、人間の記憶や感情は複雑である。ところが洋子はコンチャンを相談役に、住民間の人間関係に精通する彼の智恵と行動で、地域民の多くをまとめあげるという快挙をあげつつある。
五郎は、娘の手腕には正直なところ舌をまく。洋子の掲げたスローガンは「齢はとっても孤独にならず、みんな楽しく助けあおう」
地元の有力者人脈のひとり、山本千代は片瀬と同じ1950年生まれだが、古井町商店街の銭湯の女主人である。かつて20歳のころ、ウーマンリブの闘士として活躍した都女子大学を代表する学生運動のヒロインであった。30代からこれまで20数年、京都市会議員をつとめた。
千代は何の間違いか、銭湯を営む夫と結婚したのだが、同じく学生運動のリーダーだった彼氏の「裸哲学」に共鳴したためだろうと、町内のみなはふたりの結婚のころ噂しあった。亭主の言う哲学とは「人間生まれたときはみな裸。貴賎や金や地位もない。その後みな衣裳で着纏うが、全員がなか身は裸。銭湯では全員が産まれたときの姿に還る。みな同じ。亡くなっても三途の川の向こう岸には奪衣婆が待ち受け、衣服を奪う。衣は懸架爺が木の枝に掛ける。ちなみに、ふたりはケンカもせず仲がいいらしい。だからあの世では、みなスッポンポン」 これを「スッポンポンの哲学」と亡夫はよんだ。向こうに行って確認したはずだが、彼の仮説は正しかったのだろうか?
スッポンポンの哲学を、客は「番台哲学」と呼んだ。番台から左右の男と女を毎日、眺め続けて到達した境地である。銭湯の番台からしか生まれない思考かもしれない。
千代は、男も女も、体の構造は少しばかり異なるが、みんな同じ。男も女も変わりない。そのように自己の女性運動の思想を進化させてきたらしい。銭湯のたまものである。
30代で市会議員に当選し、男女平等と下町の活性化、老人問題に取り組んできた。しかし夫の逝去を機に、前の選挙には立たず、政界を60歳ほどで引退した。いまではほぼ毎日、番台に座って笑顔をみせている。だが彼女のし残した仕事は町の男女、高齢者対策と商店街の再生であった。
銭湯の仕事は、息子の拓郎が仕切っている。彼は府立京都理工大学の出身で、植物考古学を研究していた。大学院に進学し、学者を目指していたのだが、父親の急逝を機に家業を継いだ。
「まったく新しい銭湯をつくりたい」 裸の付き合いで町を盛り上げたいというのが、彼の夢であった。小学生以下の入浴料を無料にし、全国でも有数の混み合う銭湯に変身させたのも彼、山本拓郎である。
「父さん、ヒマ?」 洋子が未来書店に立ち寄った。
店のすぐ近くで無料の食堂兼居酒屋を営む彼女だが、片瀬の店にはたまにしか立ち寄らない。しかし五郎は週に一度ほど、洋子の昼食堂に有料食を食べに行く。あのおばあちゃんや爺さん、子連れのお母さん、それぞれがつくり持ち寄った料理。日本海で釣って来たばかりの魚の刺身や、天ぷらやパスタ、カレーやおでんなどなどをいただく。最高の美食である。しかし片瀬は夜の居酒屋には足が向かない。気にはなるが、娘が営む居酒屋では酒を飲んでも落ち着かない。
「父さん、会ってほしい彼がいるんだけど。わたし、そのひとと結婚しようと思ってるの…」
「……」、ついに来るときが来た……。
「ええっ…、うん。ええっ…母さんには、話したのか…?」
「うん。母さんは、彼ならよく知っているからって、気持ちよく賛成してくれたわ」
妻の文子はよく知っており、しかし五郎は知らない男?
「今晩、帰ってから母さんと話して…。その内に…、昼間に藤島に寄るわ…」 片瀬は情けないほど、優柔不断な父である。
<2010年11月29日月曜。この物語はフィクションです。続く>
それにしても、洋子は新しい企てを開始するに当たって、コンチャンこと傘寿の近藤大助を藤島の顧問格に据え、町内会の世話人や工務店の安田三郎、そして元市会議員をつとめ地元婦人会を束ねる山本千代までを、ビューティペアの企画改革の仲間に巻き込むことに成功した。
人間は齢をとれば、たいていが頑固になる。保守的な高年老年者のほとんどが、変化を好まない。また長年月の人間関係のしがらみから「あの人は好きだが、この人は嫌い。口もききたくない」「あの人が来るんだったら、うちは行かない…」「気の合わないひとと一緒に食事したくない」
仲良くみえる古井町とその近辺の地域だが、人間の記憶や感情は複雑である。ところが洋子はコンチャンを相談役に、住民間の人間関係に精通する彼の智恵と行動で、地域民の多くをまとめあげるという快挙をあげつつある。
五郎は、娘の手腕には正直なところ舌をまく。洋子の掲げたスローガンは「齢はとっても孤独にならず、みんな楽しく助けあおう」
地元の有力者人脈のひとり、山本千代は片瀬と同じ1950年生まれだが、古井町商店街の銭湯の女主人である。かつて20歳のころ、ウーマンリブの闘士として活躍した都女子大学を代表する学生運動のヒロインであった。30代からこれまで20数年、京都市会議員をつとめた。
千代は何の間違いか、銭湯を営む夫と結婚したのだが、同じく学生運動のリーダーだった彼氏の「裸哲学」に共鳴したためだろうと、町内のみなはふたりの結婚のころ噂しあった。亭主の言う哲学とは「人間生まれたときはみな裸。貴賎や金や地位もない。その後みな衣裳で着纏うが、全員がなか身は裸。銭湯では全員が産まれたときの姿に還る。みな同じ。亡くなっても三途の川の向こう岸には奪衣婆が待ち受け、衣服を奪う。衣は懸架爺が木の枝に掛ける。ちなみに、ふたりはケンカもせず仲がいいらしい。だからあの世では、みなスッポンポン」 これを「スッポンポンの哲学」と亡夫はよんだ。向こうに行って確認したはずだが、彼の仮説は正しかったのだろうか?
スッポンポンの哲学を、客は「番台哲学」と呼んだ。番台から左右の男と女を毎日、眺め続けて到達した境地である。銭湯の番台からしか生まれない思考かもしれない。
千代は、男も女も、体の構造は少しばかり異なるが、みんな同じ。男も女も変わりない。そのように自己の女性運動の思想を進化させてきたらしい。銭湯のたまものである。
30代で市会議員に当選し、男女平等と下町の活性化、老人問題に取り組んできた。しかし夫の逝去を機に、前の選挙には立たず、政界を60歳ほどで引退した。いまではほぼ毎日、番台に座って笑顔をみせている。だが彼女のし残した仕事は町の男女、高齢者対策と商店街の再生であった。
銭湯の仕事は、息子の拓郎が仕切っている。彼は府立京都理工大学の出身で、植物考古学を研究していた。大学院に進学し、学者を目指していたのだが、父親の急逝を機に家業を継いだ。
「まったく新しい銭湯をつくりたい」 裸の付き合いで町を盛り上げたいというのが、彼の夢であった。小学生以下の入浴料を無料にし、全国でも有数の混み合う銭湯に変身させたのも彼、山本拓郎である。
「父さん、ヒマ?」 洋子が未来書店に立ち寄った。
店のすぐ近くで無料の食堂兼居酒屋を営む彼女だが、片瀬の店にはたまにしか立ち寄らない。しかし五郎は週に一度ほど、洋子の昼食堂に有料食を食べに行く。あのおばあちゃんや爺さん、子連れのお母さん、それぞれがつくり持ち寄った料理。日本海で釣って来たばかりの魚の刺身や、天ぷらやパスタ、カレーやおでんなどなどをいただく。最高の美食である。しかし片瀬は夜の居酒屋には足が向かない。気にはなるが、娘が営む居酒屋では酒を飲んでも落ち着かない。
「父さん、会ってほしい彼がいるんだけど。わたし、そのひとと結婚しようと思ってるの…」
「……」、ついに来るときが来た……。
「ええっ…、うん。ええっ…母さんには、話したのか…?」
「うん。母さんは、彼ならよく知っているからって、気持ちよく賛成してくれたわ」
妻の文子はよく知っており、しかし五郎は知らない男?
「今晩、帰ってから母さんと話して…。その内に…、昼間に藤島に寄るわ…」 片瀬は情けないほど、優柔不断な父である。
<2010年11月29日月曜。この物語はフィクションです。続く>