アヒルの話を、延々10回ほども続けてきました。終わりは近い、と思っていても本を読んでいると、新しい発見や疑問が湧き出てきます。困ったものですが、もう少し続けます。興味をお持ちの読者は少ないでしょうが。なお引用文は、出きる範囲で現代文に書き換えました。なおこの鳥が、日本で「アヒル」の名で呼ばれるのは、16世紀中です。
さて今号のアヒルは、平安時代918年から関ヶ原の戦い1600年ころまでの略年表。アヒル前史です。
〇918年延喜18年 『本草和名』 深根輔仁編纂
<鶩肪、一名を鴨ともいう。この鳥を小馬鹿にした名に舒鳥。和名は加毛という。>
※鶩(ボク)・鶩肪(ボク)・鴨(オウ)/舒鳥(ジョチョウ/のろのろ歩く鳥)/和名;加毛(かも)/鶩・鶩肪・鴨は、呼称がアヒルになるのは600年ほど後の事です。この一文で初めて鶩ボクが登場。訓読みの「かも」以外、読みはすべて音読み漢音です。
この原文で文末が興味深い。「鶩ボクの和名はカモという」。アヒルの名が誕生するまでは、ボクかカモと呼ばれていたのではないでしょうか。それと後述しますが、アヒルの別名に「白鴨」「唐の鴨」「高麗鴨」「高麗白鳧」などもあったようです。いずれにしろ、室町期以前にはわずかの数しか舶来していません。繁殖数は不明ですが、少なかったろうと考えています。繁殖のために不可欠の人工孵卵は難題です。孵化については、アヒルの日本史10回「伝統的抱卵」に載せています。
この鳥は16世紀まで、進上進物として喜ばれる貴重種でした。しかし繁殖しないのでは、家禽とはいえません。
これから「アヒル」仮表示は片仮名に原則統一しますが、この鳥がアヒルと呼ばれだすのは、16世紀のなかばです。アヒル呼称の始まりの時期、その考察は追って次回か次々回にできれば、と思っています。
〇931年~938年『倭名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)
<鴨は自然の中に暮らしているのが野鴨であり鳧といい、家で飼育しているのが鶩である。>
承平年間に源順編纂。別名「和名杪」。
鴨(オウ)/ 野鴨、鳧(フ)。家鴨/鶩(ボク)後に日本でいう「アヒル」
〇1173年承安3年5月『玉葉』
「院中鴨合之事有」。鴨合(かもあわせ)開催。
翌日にも開催。「今日、北面鴨合、内々事也」
※「物合」(ものあわせ)は平安時代から室町にかけてずいぶん流行した遊びです。競い合って勝者や、優劣を決める。当時も大人気だった闘鶏。これならわたしにもわかるのですが。「鴨合」は、カモなのかアヒルなのか。何を競うのか。優劣? さっぱりわかりません。ほかの遊戯もほとんど理解困難です。これも課題です。
物合には、さまざまの種類があります。例えば、絵合、歌合、扇合、琵琶合、鶯合、伝書鳩の帰巣レース、虫合、蜘蛛合、香合、草合、根合、貝合などなど。
『枕草子』「うれしき物、物あわせ何くれと挑む事に勝ちたる、いかでかうれしからざらん。」
〇1226年家禄2年5月16日『明月記』
「伝え聞く。去今年宗朝の鳥獣が都に充満した。唐船の輩が自由に舶載し、これを豪家が競って購入している」
〇1233年~1234年 『古今著聞集』
「天福の頃、殿上人のもとに、唐の鴨をあまた飼われたる云々」
〇1436年永享8年『蔭凉軒日録索引』
「将軍、聯輝軒より進上せられし白鴨11羽を西芳寺の池に放たれた」。この白鴨もおそらく中国で家畜化されたペキンアヒルであろう。この時期に再開された勘合貿易によって舶載されたのであろう。
〇1490年延徳2年9月『蔭凉軒日録索引』
白鴨は高麗に生息しているとのこと。
〇1503年文亀3年『実隆公記』
「高麗白鳧申出常盤井殿遣玄番頭許」
前年には金魚がはじめて舶来した。
〇1504年永世元年3月26日『実隆公記』
「玄蕃頭送白鴨一双、令進上禁裏」宮中に献上。
〇16世紀『饅頭屋本 節用集』
数多い『節用集』の中で、すでに室町期に家鴨を「アヒル」としている本が1冊あります。『饅頭屋本 節用集』です。「家鴨」にルビ「アヒル」と明記。問題は、いつ制作された本なのか。著者は饅頭屋の林宗二だといわれています。彼の家業は奈良の饅頭屋ですが、生年1498年~1581年没。宗二はたいへんな文人学者で、歌学にも通じ、源氏物語の注釈書も著し、自らの版、林宗二版『節用集』も刊行したのです。この『節用集』も追求したい。
〇1587年天正15年2月19日『御湯殿上日記』(お湯とののうへの日記)
「きよ水のくわん、あひる一つかいしん上す」
<清水寺に願のため、アヒルひと番い(つがい)を進上す>
「お湯とののうへの日記」は、内裏、宮中の御湯殿の上の間に奉仕する女官が筆録した宮廷日記です。文明9年から文政9年にまで約350年間の記録。464冊が残っています。一部欠損はありますが、たいへん貴重な日記です。(1477年~1826年)
豊臣秀吉は島津討伐のため、翌月3月1日に大阪を発ちます。この願は、秀吉の戦勝を願っての宮中からのアヒル願だったのかもしれません。
〇1589年天正17年 『節用集 天正17年本』
「鴨 鳧 鶩」と記されています。ルビを併記すると「鴨カモ、鳧々、鶩々」。
鴨カモも鳧フも鶩ブク・アヒルも、どれも同じ鳥である。
天正18年本が有名ですが、わたしの手元の復刊本は天正17年本です。
〇1600年慶長5年9月15日 「関ヶ原の戦い」
〇1603年慶長8年『日葡辞書』
イエズス会は大冊の辞典を何年もかけて、完成させました。辞典は、日本人との意思の疎通、布教活動に必需品です。制作は日本人信徒と、イエズス会士との共同作業です。天正年間から制作を開始し、慶長8年1603年に本編を完成出版、翌年補遺刊行。画期的なキリシタン版日本語ポルトガル語対訳辞書です。
「あひる(家鴨)アヒル」 発音「AFIru」 「アフィル」
既述ですが、「H」音が「F」に転化しています。連載第6回「アフィロ」をごらんください。
<2024年10月30日>
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