メーテルリンクの戯曲『青い鳥』は、幸福の鳥をさがして異世界を巡るチルチルとミチルの物語です。出版は1909年、その2年後には彼はノーベル文学賞を受賞しています。大正期、日本でもメーテルリンクは好評で、たくさんの翻訳書が出版されています。
宮澤賢治もメーテルリンクの著作を何冊も読み、大きな影響を受けています。まず大正6年(1917)の短歌に「チルチルの声 かすかにきたり」と記しています。
1921年に書きあげた「かしわばやしの夜」(『注文の多い料理店』所収1924)で、森の木の話しは『青い鳥』とそっくりです。『銀河鉄道の夜』にもメーテルリンクを思わせる記述がいくつも出て来ます。
この連載の前回でみた『グスコーブドリの伝記』もしかり。まずブドリとネリの家族構成です。父親は木こりで、母と兄と妹の4人暮らしです。チルチルとミチルの父も木こりで、母と4人暮らしでした。ただ平和で仕合わせだった両兄妹の歩む道のりは、その後おおいに異なります。
賢治がメーテルリンク作品を読んだのは、妹トシの影響だといわれています。トシは「私は自分に力づけてくれたメーテルリンクの智慧を信じる」と記しています。
日本女子大学校に入学したトシは、同校の創設者である成瀬仁蔵の講義に深い感銘を受けた。成瀬は講義「実践倫理」で、メーテルリンク著『青い鳥』『万有の神秘』『死後は如何』などをテキストに講義しました。トシから兄賢治へ、成瀬が講じたメーテルリンクと著作は吸収されていきました。『タンタジールの死』も賢治は読んでいます。
面識こそなかったけれど、成瀬仁蔵は宮沢賢治の師でもあったわけです。成瀬は1919年に亡くなりますが、神秘思想を極めた彼は最終講演会で「有限の肉体から無限の生命に入る」と語っています。逝去の2カ月ほど前のことでした。
『銀河鉄道の夜』は「本当の幸い」を探し求める旅でもあったわけですが、メーテルリンクは『死後は如何』で「心霊は幸福以外のものには一切無感覚である」と述べています。賢治は、生者もまた「本当のさいわい」を求めることが大切であるとしました。
ジョバンニは親友のカムパネルラと永遠の別れをとげるとき、友にこういいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」
「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く」
賢治は昭和4年(1929)の友人宛書簡で「宇宙には実に多く意識の段階がありその最終のものはあらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめやうとしてゐる」
成瀬仁蔵は、メーテルリンクのいう宇宙意思から、自我の形成発展について述べている。まず身体的自我から家族的自我、学校的自我へ。そして国家的自我、人類的自我、さらには宇宙的自我へ。
賢治は「自我の意識は個人から集団・社会・宇宙と次第に進化する」「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)
山根知子氏は『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』(朝文社2003年)で次のように記しておられる。銀河鉄道の旅を通じてジョバンニは<「あらゆる生物をほんたうの幸福に齎(もたら)したい」という「宇宙意思」と一致する願いを自らのものとするに至ったのだと説明できる。>
巨人の思想をみていると、凡人は頭がくらくらしてくる。今日は大阪に出かけて福島菊次郎さんの映画と、夜の飲み会で気分を一新します。梅田まで、銀河鉄道ではなく阪急電鉄です。
<2012年8月25日 南浦邦仁>
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