「幕末金玉三話」をこの連載で書いたことがある。それを読んだ旧知のお医者さんから電話をいただいた。「キンタマ話は愉快でした。」
電話での話しは当然だが、毒婦・お辰のことになった。美人の彼女に言い寄る男を寝床に誘い込み、○○の最中にキンタマを指でひねりつぶして殺害する。そしてサイフから金を盗み取った。しかしその程度の悪行で、男は死ぬものか? お医者さんは泌尿器科が専門なので聞いてみた。ちなみに彼は、包茎問題の第一人者である。余談であるが。
「つぶされたら、気絶はするでしょうが……」。確かに、子どものころ、何度か金玉を痛打した記憶からして、すごい激痛は走るが、そう簡単には死にはしないのではないか。両玉ともに健在の筆者であるが。
お辰の手口は、気絶した助平男の顔に、濡れ手ぬぐいを被せ、窒息死させたのではなかろうか。意識を失った裸体をそっと仰向けに転がし、男の頭の向こうか、あるいは腹のうえに馬乗りになり、濡れた手拭で顔を覆う。おそらくこの方法を使ったのであろう。彼女のその乱姿を想像するだけで、何かゾクゾクと身震いする心地がしてしまう。お辰の背には、雲霧の見事な刺青が鮮やかであった。「雲霧の辰」とも、彼女は呼ばれた。
しかし、このやり方が正しいとしたら、男は腹上死ではなく、お辰の腹の下で、腹下死したことになる。死んだ助平の浮かばれないこと、はなはだしい。
ところで、お医者さんの質問は、「なぜお辰は牢に入ったのですか。五人の男の玉をひねりつぶしたと、はじめて牢内で勝海舟に話したのなら、彼女のもとの罪状は何だったのでしょう。」
これは鋭い質問である。お辰の情夫は、幕末の大悪党・もと旗本の盗賊である青木弥太郎であった。青木も同じ小伝馬の牢に収監されていたのだが、彼女は盗賊団首領の妾夫人、一味の幹部である。
かつて青木が斬り落とした首を「お辰、ぶら下げて行け」と命じたところ、辰は「いやですよ」と断った。当然であろう。だれもそのような生ものをぶら下げたくはない。
しかしお辰の口上が振るっている。「旦那、血が垂れていけませぬから、手拭を貸してください」。自分の着物が血で汚れるのが嫌だったのである。青木は後に語っている。「手拭をやると生首を包んで、平気で持って歩いたくらい気丈な女でした」。彼女は「鬼神のお辰」とも呼ばれた。
慶応四年は、同年九月に明治元年に改元になるが、牢屋敷に収容されていた二千人以上の囚人たちが特赦を受け、放免される。幕府崩壊の始末を任された勝海舟の英断であったが、牢は空屋敷になってしまった。青木弥太郎もお辰も、解き放たれる。その直前に、勝は悪党どもに興味をいだき、何人かのユニークな囚人たちと牢内で面談した。青木やお辰は、興味ある悪党であったが、勝というひとも、つくづく興味深いひとであると感心してしまう。
海舟は記している。彼らは「おしいことには、卑賤や貧しい出身で、生涯衣食のことに追われ、本来の天分をまっとうに伸ばすことができなかったのだ。世が世なら、偉人と呼ばれるてえした人物になっていたかもしれねえよ。しかしそれがために、国家とか政治とかいう屁理屈を悪用して、大そうな悪事をやらなかったのは、(誰かたちと違って)世間のためにはかえって幸せだったかもしれないよ。とにかくおれも、彼らにはかなわねえ」(現代語意訳)
ところで赦免されたお辰のその後だが、尼になってしまった。消息は不明であるが、藤沢の清浄光寺か、鎌倉の光明寺に入ったともいう。艶っぽい尼は相変わらず、得意のひねりつぶしの芸当で、完全犯罪の腹上死を繰り返したのであろうか。明治期の彼女の消息をご存知の方があれば、是非お知らせいただきたい。なぜか、気になる女性である。
<2007年12月2日 南浦邦仁>
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