ふろむ播州山麓

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伊藤若冲の「冲」字考  <第二話> 若冲連載4

2007-12-09 | Weblog
冲と沖が混乱していることは昨日、書いた。ところで、わたしがこの連載を二日連続書くなどということは珍しい。理由はきのう今日、土曜日曜が連休で、たいした雑用にも追われていないからである。映画「三丁目の夕日」続編を見に行く予定だったが、妻の都合で延期した。ふつう土曜は仕事に拘束されることが多く、雑事も重なる。たいていが日曜の駄文作りになってしまう。休日の娯楽としての楽しみが「片瀬五郎の京都から」のようだ。
 さて昨日触れた『老子』第四十五章が、若冲の名の出所であるが、『老子』そのものが混乱している。福永光司本は冲ニスイ。木村英一・武内義雄・金谷治・小川環樹各氏の本では、サンズイの沖と記されている。ニスイ冲は、福永・山室三良氏など、少数派である。
 暇にまかせて今日、北山通の京都府立総合資料館と岡崎の京都府立図書館に行ってきた。わかったことは、世界で認知されている『老子』の古いテキストには二種類あるということ。どちらも中国の古い本だが、「王弼(おうひつ)注本」と「河上公(かじょうこう)注本」の『老子道徳経』である。漢字ばかりの両書を一読したが、王弼はサンズイの沖、河上公はニスイの冲を載せる。どちらのテキストを底本に用いるかで、沖と冲がわかれるようだ。
 江戸時代の明和七年(1770)に、宇佐美本「王注老子道徳経」が江戸で刊行された。この本は日本における決定版になるのだが、若冲五十五歳、相国寺に「動植綵絵」三十幅を寄進した年である。なおサンズイ沖の寿蔵はその明和三年に建てられている。宇佐見本は未見だが、書名「王注」のとおり、サンズイのはずである。
 『老子』は、テキストに異同が多い。宇佐見本を使う訳者も、ニスイにしたりしておられる。図書館の椅子にもたれ、わたしは混乱し疲れてしまった。
 ところで、面白い本を見つけた。明徳出版社刊『馬王堆老子』である。湖南省長沙で、三十年ほど前に発掘された古墓で発見された、驚くべき『老子』絹本である。四十五章は欠字が多いが、「…盈如沖、其…」と書かれている。この史料がもっとも古い、約二千二百年も昔にさかのぼる一級の本である。これだと若冲は「如沖」になってしまうが、意味は同じく「チュウなるがごとし」。
 さらには、もっと古い伝聞は「若(または如)盅」。盅は上に中、下に皿の一字であるが、やはり「チュウなるがごとし」。幸い、意味はみな同じであるが、ジャクチュウかジョチュウか、ニョチュウになるのであろうか。
<2007年12月9日 南浦邦仁>
 
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