「天狗のミイラ」と題して駄文を書き連ねてきましたが、話しが段々とミイラから離れて来ました。今回から改題「天狗談義」に変更します。
天狗の読みは「てんく」「てんぐ」または漢音「テンコウ」でしょうが、この国では古代中国の天狗を天狐と記し、「あまつきつね」「あまきつね」あるいは本来の漢音「テンコ」とも読んだようです。そのようなことを前回、記しました。今日は「古代中国の天狗」掲載の予定でしたが、どうも「天狐」が気になってしまいました。急きょ、「天狐と天鼓」いずれも「テンコ」ですが、テーマを変更します。予定改変はよくあることですね。
まず天狐テンコですが、ひとつには古代中国では星の名とされています。「天狐發射」「天狐射法」「天狐、虚上二星」など。そしてもうひとつの意味は「天上に住む霊狐」、「狐千歳即興天通、為天狐」「天狐、九尾金色、役於日月宮、洞達陰陽」どうもキツネは千歳の老人になると、天に通じ宇宙の「天狐」テンコ、和名アマギツネ(アマツキツネ)となる。九尾は金色であったようです。
古くは『抱朴子』(283年)に、狐の寿命は八百歳であるという。三百歳を過ぎると変化して人の形となる。夜、尾を撃ちて火を出す。髑髏を頭に戴きて北斗を拝し、頭から落ちなければその狐は人に変ず。
中国明代(1368~1644)『本草綱目』では、狐は百歳になると北斗を礼拝し、人間の男や女に化けて人を惑わす。またよく尾を撃って火を出す。狐火です。千年を経た老狐は、千年を経た古い枯木を燃やし、それで照らせば正体を現す。
また狐魅(狐憑き)は犬をおそれる。これに関連して日本では、犬に追われたキツネは逃げるとき、必ず屁をひる。その臭いは強烈で、犬も追うことを止めてしまうと言う。
天狗の「狗」が気になります。狗は犬ですから狐とは相性が悪いはずです。天狗、すなわち天狐とは、これいかに?
明代の『玄中記』や『五雑組』によれば、狐は50歳になるとよく化けるようになる。百歳では美女に化け、人間の男を欺きそして交接する。千歳にもなると千里の外のことを知り、天と通じ人を化かすようなこともしなくなり、天狐と称される。天狐は変幻万端という。千歳狐こそ、本来の天狗かもしれませんね。
キツネの呼称をみると古名は、きつ、きつね、くつ、くつね、けつ、けつね、やかん、とうか、いがたうめ、よるのとの、ひめまちぎみ、まよはしとり…。狐、射干、野干、岐都禰、来つ寝、稲荷(とうか)、命婦、伊賀專など。
『万葉集』には一匹だけキツネが登場します。「さし鍋に 湯沸(わかせ)子ども 櫟津(いちひつ)の 檜橋(ひばし)より来む 狐に浴(あ)むさむ」<16-3824>
皆で火箸(檜橋)を使いながら湯をわかせ、橋を渡ってコン(来む)と鳴いて来る狐を、歓待して湯浴びをさせよう。あるいは湯をぶっかけよう。そのような意味でしょうか。
万葉の時代、狐はまだ邪悪な妖獣視されることはなかったようです。里のふつうの獣として、身近な動物のひとつであったようです。
『日本霊異記』(822年ころ)には、狐が化けた妻が犬におびえて本性をあらわし去って行くが、夫は「子がいるのだから時々は逢いに来てほしい」と懇願する。民話「狐女房」の原型ですが、異類婚姻譚「鶴女房」などと同類と思えば、人をだます話しとはとりにくい。狐は決して妖魔や悪者ではないようです。
同書には殺された狐の怨の報復話があります。しかし「怨をもちて怨に報ゆれば、怨なほ滅せず。車輪の転ぶが如し」。この話しは、決して後代に言う「狐憑き」とはみられない。
おそらく、狐が邪悪で妖しい悪獣とされるのは、だいぶ時代が下がってからのことではないか? 狐を祀る京伏見の稲荷信仰などは、古来のなごりではなかろうか。狐は豊穣の稲神、田の神の使いがもとの姿であったのではないでしょうか。稲妻すなわち雷光と、稲・米は密接とも言います。稲荷は稲成り、稲生りすなわち豊作豊穣の言葉です。キツネは害獣のノネズミやウサギ、昆虫などを食す、稲作の益獣です。狐は田や稲の神、その使いであったはずです。
ただ『源氏物語』には、「狐、木霊(こだま)やうのものの人をあざむきて」とあります。どうも狐観は平安中期ころから変化し出し、平安末期1120年代の『今昔物語集』では、中世から近現代にみられる狐観が完成に近づいているようです。
いつかは「狐」観の変遷史を書きたいとは思うのですが、たぶん思うだけでしょうね。とりあえずは天狗をやらねば。
今回の文「天狐」は長くなってしまいました。もうひとつのテーマ「天鼓」は次回に廻します。
<2011年2月6日>
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