京の古井町商店街で本屋「未来書店」を営む片瀬五郎は、もとは中堅不動産会社の営業マンであった。バブル崩壊の数年前、彼は悩んだ。 「たった一晩で、数十億円もする土地建物を売った買ったと狂乱している。そして祇園で戦勝祝いと称して、たくさんの舞妓舞妓を舞わせ酔っ払い、乱痴気騒ぎに興じる。絶対に、全員が狂っている」
取り扱う額がべらぼうなので、業者はたいていがウソ八百で塗り固める。他人をだますことは、億の利益の前では、当然の方便であった。そして何人もの仲間がストレスで胃をやられ、潤沢なのはあぶく銭だけ。全員が銀行に踊らされたともいえる。いくらでも金は、銀行から溢れ出た。1988年夏、片瀬は会社に辞表を出した。
同僚たちは後になって「片瀬さん、本当にいい時に辞めましたね。当時みんな、こんなに儲かるのに会社を辞めるなんて、バカなひとだと言っていたんですよ。ところが数年にして会社は倒産…。みんな散り散りになってしまいました。何人もが自殺してしまいました…。彼らはプライドで、自己破産ができなかったのです。そして自死を選びました」
片瀬の親友に前川克彦がいた。古井町商店街の北角に本屋「未来書店」をまず開業したのは、片瀬の中学高校の先輩だった前川である。ところが1988年の春、円山公園での花見の席で前川が倒れた。片瀬が近くの公衆電話で119番コールをし、救急車で運ばれた前川は脳梗塞であった。当時、携帯電話はまだなかったのである。
40歳ほどの友人が突然倒れるとは、その場にいた仲間のだれもが信じられなかった。円山の枝垂れ桜をみるたびに、いまも片瀬はその日の花見の光景が、瞬時にフラッシュバックする。
酒好きの前川と片瀬は、一緒によく飲んだ。いつも古井町商店街の居酒屋「藤島」で、ふたりは待ちあわせた。バブル期の不動産業という理不尽な商売についても、前川は理解があった。趣味人で多芸多才だった前川は、居酒屋藤島の奥の坪庭までボランティアで作った男である。素人放れした味わい深い小さな庭を、片瀬はすきだった。本屋が本業のはずなのに、庭師のごとく前川が作った庭に面する小さな座敷に座り、木や花を眺める。片瀬の心は不思議と落ち着いた。藤島の女将は「片瀬さん、この庭の噂を聞きつけて、一見のお客さんが、わざわざ来てくださるの。すごいでしょ。前川さんは天才、バカボンかもね。」 爆笑の渦が、小さな店の客全員を巻き込み涌いた。
待ち合わせ時間に少し遅れて前川が縄暖簾をくぐるのと、みなの笑いは同時だった。前川は「ずいぶん楽しそうだね」 そしてまた全員が(笑)で盛り上がった。
病室を訪れた片瀬に、不自由な口で前川はたどたどしく語った。「未来書店をやつてくれないか。妻も片瀬さんならと、言つてくれている。不動産のような派手さや大きな商いとは無縁だが、儲けの多寡はさておいて、もしも引き続いてやつてくれたらうれしい…。いやな不動産屋より、本屋をきつと楽しいと思うよ」
片瀬はかつて、元気だった前川と本屋について談義したことが何度もある。商いは小さいながら地元に密着し、客ひとりひとりの顔を見つめながら、おのおのの趣味や関心を心得る。そしてそれを小さなデータベースに、ひとりひとりのために、紙の本を品揃えしていく。町の本屋は、きめの細かいコミュニティセンターのような手作りスポットである。ウソをついたり、だますことも一切ない。居酒屋で熱っぽく語った前川の元気だったころの顔を、片瀬は思い浮かべた。
病に伏した前川は一度は回復したものの、その年の盛夏に逝ってしまった。四十九日が過ぎて間もなく、前川の妻が祇園に近い片瀬のマンションを訪れた。「片瀬さん、考えてくださいましたか? お願いです。子どものいないわたしひとりでは、未来書店を続けていくことは無理です。店のふたりのパートさんに話しても、『奥さんとわたしたちで、店を続けることは不可能です。閉めましょう、奥さん』。そのように言うのです。片瀬さんお願いです。夫の遺志を汲んで、引き受けてください。」
片瀬は決断した。二階建ての店舗は、近所の不動産屋のいう値で購入した。前川の妻は、伏見区の実家の近所に移るという。前川夫妻が住んでいた二階には、その後、息子の伸介が暮らすことになる。片瀬の妻・文子は「前川さんの分まで頑張って、小さいながら日本一の本屋にしましょう。わたしも手伝います」。文子は五郎のこれまでの不動産営業マンの苦労を、しっかりと見ていた。「貧しくとも本屋でいい」。彼女は、そのように言った。
片瀬五郎、妻の文子、まだ小学生ながら店を手伝ってくれる娘の洋子、そして2歳下の弟の伸介。家族あげての協力で、新生「未来書店」は1988年秋、大洋への航海を開始した。翌年の桜花咲きほこる陽春の日、家族そろって前川忌を円山公園で開き、亡き友に未来の繁栄を誓った。その日、未来書店の扉には「桜見のため臨時休業」と貼紙があった。
<2010年11月5日 この物語は完全フィクションです。隔日掲載予定。続く>
取り扱う額がべらぼうなので、業者はたいていがウソ八百で塗り固める。他人をだますことは、億の利益の前では、当然の方便であった。そして何人もの仲間がストレスで胃をやられ、潤沢なのはあぶく銭だけ。全員が銀行に踊らされたともいえる。いくらでも金は、銀行から溢れ出た。1988年夏、片瀬は会社に辞表を出した。
同僚たちは後になって「片瀬さん、本当にいい時に辞めましたね。当時みんな、こんなに儲かるのに会社を辞めるなんて、バカなひとだと言っていたんですよ。ところが数年にして会社は倒産…。みんな散り散りになってしまいました。何人もが自殺してしまいました…。彼らはプライドで、自己破産ができなかったのです。そして自死を選びました」
片瀬の親友に前川克彦がいた。古井町商店街の北角に本屋「未来書店」をまず開業したのは、片瀬の中学高校の先輩だった前川である。ところが1988年の春、円山公園での花見の席で前川が倒れた。片瀬が近くの公衆電話で119番コールをし、救急車で運ばれた前川は脳梗塞であった。当時、携帯電話はまだなかったのである。
40歳ほどの友人が突然倒れるとは、その場にいた仲間のだれもが信じられなかった。円山の枝垂れ桜をみるたびに、いまも片瀬はその日の花見の光景が、瞬時にフラッシュバックする。
酒好きの前川と片瀬は、一緒によく飲んだ。いつも古井町商店街の居酒屋「藤島」で、ふたりは待ちあわせた。バブル期の不動産業という理不尽な商売についても、前川は理解があった。趣味人で多芸多才だった前川は、居酒屋藤島の奥の坪庭までボランティアで作った男である。素人放れした味わい深い小さな庭を、片瀬はすきだった。本屋が本業のはずなのに、庭師のごとく前川が作った庭に面する小さな座敷に座り、木や花を眺める。片瀬の心は不思議と落ち着いた。藤島の女将は「片瀬さん、この庭の噂を聞きつけて、一見のお客さんが、わざわざ来てくださるの。すごいでしょ。前川さんは天才、バカボンかもね。」 爆笑の渦が、小さな店の客全員を巻き込み涌いた。
待ち合わせ時間に少し遅れて前川が縄暖簾をくぐるのと、みなの笑いは同時だった。前川は「ずいぶん楽しそうだね」 そしてまた全員が(笑)で盛り上がった。
病室を訪れた片瀬に、不自由な口で前川はたどたどしく語った。「未来書店をやつてくれないか。妻も片瀬さんならと、言つてくれている。不動産のような派手さや大きな商いとは無縁だが、儲けの多寡はさておいて、もしも引き続いてやつてくれたらうれしい…。いやな不動産屋より、本屋をきつと楽しいと思うよ」
片瀬はかつて、元気だった前川と本屋について談義したことが何度もある。商いは小さいながら地元に密着し、客ひとりひとりの顔を見つめながら、おのおのの趣味や関心を心得る。そしてそれを小さなデータベースに、ひとりひとりのために、紙の本を品揃えしていく。町の本屋は、きめの細かいコミュニティセンターのような手作りスポットである。ウソをついたり、だますことも一切ない。居酒屋で熱っぽく語った前川の元気だったころの顔を、片瀬は思い浮かべた。
病に伏した前川は一度は回復したものの、その年の盛夏に逝ってしまった。四十九日が過ぎて間もなく、前川の妻が祇園に近い片瀬のマンションを訪れた。「片瀬さん、考えてくださいましたか? お願いです。子どものいないわたしひとりでは、未来書店を続けていくことは無理です。店のふたりのパートさんに話しても、『奥さんとわたしたちで、店を続けることは不可能です。閉めましょう、奥さん』。そのように言うのです。片瀬さんお願いです。夫の遺志を汲んで、引き受けてください。」
片瀬は決断した。二階建ての店舗は、近所の不動産屋のいう値で購入した。前川の妻は、伏見区の実家の近所に移るという。前川夫妻が住んでいた二階には、その後、息子の伸介が暮らすことになる。片瀬の妻・文子は「前川さんの分まで頑張って、小さいながら日本一の本屋にしましょう。わたしも手伝います」。文子は五郎のこれまでの不動産営業マンの苦労を、しっかりと見ていた。「貧しくとも本屋でいい」。彼女は、そのように言った。
片瀬五郎、妻の文子、まだ小学生ながら店を手伝ってくれる娘の洋子、そして2歳下の弟の伸介。家族あげての協力で、新生「未来書店」は1988年秋、大洋への航海を開始した。翌年の桜花咲きほこる陽春の日、家族そろって前川忌を円山公園で開き、亡き友に未来の繁栄を誓った。その日、未来書店の扉には「桜見のため臨時休業」と貼紙があった。
<2010年11月5日 この物語は完全フィクションです。隔日掲載予定。続く>