ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

SF「未来書店物語」 №3 <臨時休業> 

2010-11-05 | Weblog
 京の古井町商店街で本屋「未来書店」を営む片瀬五郎は、もとは中堅不動産会社の営業マンであった。バブル崩壊の数年前、彼は悩んだ。  「たった一晩で、数十億円もする土地建物を売った買ったと狂乱している。そして祇園で戦勝祝いと称して、たくさんの舞妓舞妓を舞わせ酔っ払い、乱痴気騒ぎに興じる。絶対に、全員が狂っている」
 取り扱う額がべらぼうなので、業者はたいていがウソ八百で塗り固める。他人をだますことは、億の利益の前では、当然の方便であった。そして何人もの仲間がストレスで胃をやられ、潤沢なのはあぶく銭だけ。全員が銀行に踊らされたともいえる。いくらでも金は、銀行から溢れ出た。1988年夏、片瀬は会社に辞表を出した。
 同僚たちは後になって「片瀬さん、本当にいい時に辞めましたね。当時みんな、こんなに儲かるのに会社を辞めるなんて、バカなひとだと言っていたんですよ。ところが数年にして会社は倒産…。みんな散り散りになってしまいました。何人もが自殺してしまいました…。彼らはプライドで、自己破産ができなかったのです。そして自死を選びました」

 片瀬の親友に前川克彦がいた。古井町商店街の北角に本屋「未来書店」をまず開業したのは、片瀬の中学高校の先輩だった前川である。ところが1988年の春、円山公園での花見の席で前川が倒れた。片瀬が近くの公衆電話で119番コールをし、救急車で運ばれた前川は脳梗塞であった。当時、携帯電話はまだなかったのである。
 40歳ほどの友人が突然倒れるとは、その場にいた仲間のだれもが信じられなかった。円山の枝垂れ桜をみるたびに、いまも片瀬はその日の花見の光景が、瞬時にフラッシュバックする。

 酒好きの前川と片瀬は、一緒によく飲んだ。いつも古井町商店街の居酒屋「藤島」で、ふたりは待ちあわせた。バブル期の不動産業という理不尽な商売についても、前川は理解があった。趣味人で多芸多才だった前川は、居酒屋藤島の奥の坪庭までボランティアで作った男である。素人放れした味わい深い小さな庭を、片瀬はすきだった。本屋が本業のはずなのに、庭師のごとく前川が作った庭に面する小さな座敷に座り、木や花を眺める。片瀬の心は不思議と落ち着いた。藤島の女将は「片瀬さん、この庭の噂を聞きつけて、一見のお客さんが、わざわざ来てくださるの。すごいでしょ。前川さんは天才、バカボンかもね。」 爆笑の渦が、小さな店の客全員を巻き込み涌いた。
 待ち合わせ時間に少し遅れて前川が縄暖簾をくぐるのと、みなの笑いは同時だった。前川は「ずいぶん楽しそうだね」 そしてまた全員が(笑)で盛り上がった。

 病室を訪れた片瀬に、不自由な口で前川はたどたどしく語った。「未来書店をやつてくれないか。妻も片瀬さんならと、言つてくれている。不動産のような派手さや大きな商いとは無縁だが、儲けの多寡はさておいて、もしも引き続いてやつてくれたらうれしい…。いやな不動産屋より、本屋をきつと楽しいと思うよ」
 片瀬はかつて、元気だった前川と本屋について談義したことが何度もある。商いは小さいながら地元に密着し、客ひとりひとりの顔を見つめながら、おのおのの趣味や関心を心得る。そしてそれを小さなデータベースに、ひとりひとりのために、紙の本を品揃えしていく。町の本屋は、きめの細かいコミュニティセンターのような手作りスポットである。ウソをついたり、だますことも一切ない。居酒屋で熱っぽく語った前川の元気だったころの顔を、片瀬は思い浮かべた。

 病に伏した前川は一度は回復したものの、その年の盛夏に逝ってしまった。四十九日が過ぎて間もなく、前川の妻が祇園に近い片瀬のマンションを訪れた。「片瀬さん、考えてくださいましたか? お願いです。子どものいないわたしひとりでは、未来書店を続けていくことは無理です。店のふたりのパートさんに話しても、『奥さんとわたしたちで、店を続けることは不可能です。閉めましょう、奥さん』。そのように言うのです。片瀬さんお願いです。夫の遺志を汲んで、引き受けてください。」

 片瀬は決断した。二階建ての店舗は、近所の不動産屋のいう値で購入した。前川の妻は、伏見区の実家の近所に移るという。前川夫妻が住んでいた二階には、その後、息子の伸介が暮らすことになる。片瀬の妻・文子は「前川さんの分まで頑張って、小さいながら日本一の本屋にしましょう。わたしも手伝います」。文子は五郎のこれまでの不動産営業マンの苦労を、しっかりと見ていた。「貧しくとも本屋でいい」。彼女は、そのように言った。
 片瀬五郎、妻の文子、まだ小学生ながら店を手伝ってくれる娘の洋子、そして2歳下の弟の伸介。家族あげての協力で、新生「未来書店」は1988年秋、大洋への航海を開始した。翌年の桜花咲きほこる陽春の日、家族そろって前川忌を円山公園で開き、亡き友に未来の繁栄を誓った。その日、未来書店の扉には「桜見のため臨時休業」と貼紙があった。
<2010年11月5日 この物語は完全フィクションです。隔日掲載予定。続く>
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SF「未来書店物語」 №2 <古井町商店街>

2010-11-03 | Weblog
 京都市東山区、昔ながらの町家がたくさん並ぶ古井町。地元住民は「古い町」と笑っていうが、正確には「ふるいちょう」である。周辺の民家は風呂のある家は少なく、たいていの住民が銭湯「古井温泉」を利用している。
 この銭湯は、小学生以下は無料。そのため久しぶりに遊びに来た孫を連れたおじいさん、おばあさんも多い。遠来の子どもたちは、いまどき珍しい銭湯に行くのが楽しみで祖父母を訪れる。老若男女の歓声がいつもエコーし、響き渡る京の名物温泉である。
 無料・フリー作戦が成功し、古井町温泉は京都でいちばんの入浴客数を誇っている。ただし売上は決して高くはないが。しかし風呂屋は、町のコミュニティセンターの働きもしており、町民の憩いの場、誇りの湯でもある。

 琵琶湖から長いトンネルを抜けて京都に達する疏水は、岡崎の動物園の脇で白川と合流する。そして少し下流の美術館横から、再び白川は流路をかえて祇園に向かう。もともと水量の乏しい上流の白川だが、疏水を流れる豊かな湖水を補って、三条白川橋の古い道標の裾から古井町の横、柳並木にはさまれて流れ行く。つぎに祇園新橋で桜名所の通りに沿い、吉井勇の歌碑「かにかくに 祇園はこひし寝るときも 枕のしたを水のながるる」を過ぎて、ついに鴨川に流れ込む。
 摂津と山城の国境、現在の京都と大阪の府境、山崎のあたりで鴨川は三川と合流する。桂川、宇治川、木津川。大河の名は淀川と変じ、大阪湾に向かう。古井町の横をささやかに流れる小川は、関西空港の脇からさらには太平洋の大海原を目指して、延々と流れ行くのである。なお白川源流の分水嶺は京の鎮守、比叡山である。

 かつて京でも有数の商店街であった古井町商店街。町の南北を通りが走り、北の出入口は三条街道、旧東海道に接している。店数は20ほどだが、いまではそのほぼ半数がシャッターを閉じてしまった。全国いたるところに広がったシャッター商店街のひとつである。

 商店街通り北入り口の角地に「未来書店」がある。店主は片瀬五郎という。2010年末に、60歳のアラ還を迎えた。頭天から髪が減り始め、歯も数本が抜けたままである。いくら妻から強く迫られても、歯医者には行かない。子どものころから、歯医者だけは大の苦手だからである。娘の洋子が結婚するにも、きっと歯科医の男性だけは、彼は許さないであろう。
 ところで片瀬の店は売り場わずか30坪ほど。狭いコンビニの面積並みである。典型的な町の零細書店である。同様の書店を、絶滅危惧種と業界では呼ぶ。
 
 2年後の2012年の夏のこと、朝の8時。片瀬は開店準備に励む商店主たちの店前の通りを歩む。八百屋の主人に「お早う、玄さん。お母はん、元気になりはったか?」。「おおきに。片瀬さん、心配かけましたが退院して、昨日から裏の家に帰って来ました」 玄田の妻も見舞いの礼をいう。先週、病室まで片瀬は妻の文子と、花を手に見舞いに行ってきた。店に向かう片瀬に、肉屋、魚屋、花屋、菓子屋…。みな元気な声と笑顔をみせる。
 未来書店に着くと、すでに店内には照明が灯り、朝の8時にもかかわらず、客が数人集まっていた。扉を開いた片瀬に「お早う、五郎さん。えらいゆっくりした重役出勤どすなあ」 近所に住む同年の井上が笑顔を送る。サラリーマンを定年まで勤めあげた井上は、片瀬の同級生である。暇を持て余して、毎日のように未来書店に集う同志である。
 ほかに年長の、片山と三室も来ている。「片瀬さんは小なりといえども大社長やで。社長出勤、言わんとなあ」と片山が笑った。未来書店は一応、有限会社である。といっても社員は家族だけだが。
 片山と三室、ふたりは自転車で10分ほどの距離をやって来る。彼らはパソコンやE板(携帯タブレットPC)に精通している。片山と三室は2010年に、発売なったばかりのアイパットを両人同時に買った。そして電子雑誌の編集発行にはまり込んだ。近ごろではだいぶ好評になり、英語版や中国語版、さらにはハングルやスペイン語版も開始しようとしている。世界中に執筆者と読者を増やすのが目標である。民主化の進みつつある中国からも、取材記者が来るほどになった。
 ふたりのことを仲間たちは「ドボッツ」と呼ぶ。ドボッと2010年、E板にはまり込んだ二人の「ツー」。それで複数の「ドボッツ」である。その後、近所に住む井上もはまった。ドボッツは3人になってしまった。五郎も彼らも、全員が団塊世代である。
 「お早う、父さん」。店の2階にひとりで暮らす片瀬の息子の伸介である。
 「今朝もおじさんたちが7時ころからやってきて、ピンポーンですよ。年寄りは朝が早い。おかげでぼくも三文の得でした。みなさんと新しい本屋作戦を練ったから、ずいぶん面白い展開が、また始まりますよ」
 「……」。片瀬は、感慨深くうなずいた。数年前、地元の信用金庫に勤めていた息子の伸介が、「会社を辞めたい」と言いだしたときには、絶句してした。
 しかしストレスで体や心をいじめるくらいなら、いっそ自由に生きればよい。そのような結論が、小さな本屋を変えてしまった。この書店は、片瀬と伸介、そして仲間によって大進化を遂げつつあるのである。

 本屋の名は「未来書店」。古ぼけた看板が玄関のうえに掛かっている。「どこが未来?」 かつてはじめて来た客はみな、不思議そうな顔をした。そして2012年の現在、古い看板と大変身を遂げた店内のギャップは面白い。
 2012年、未来書店の店内は、まさに未来である。「フューチャ・ブックストア」の姿を呈している。仲間内では略して「Fブックス」と呼ぶ。まず広く長い大きなカウンター。その前に客用のイスは4脚も並んでいる。向いの壁には、40インチほどもある、ゾニーの液晶ググールテレビがぶら下がっている。
 息子と仲間たちが、腰かけている四角い大テーブルの周りには、10人でも囲める余裕とイスがある。その向こうにはバカでかい、最新式のPOD機までもが設置されている。
 本屋なのだが、紙の本はわずかに、申し訳ていどに壁面の棚などに並んでいる。ふつうの書店なら所狭しとばかりに、ぎゅうぎゅうに本を詰め込む。ところが、片瀬の新装なった未来書店では、わずか数千冊の本と雑誌しか置いていない。近ごろ来店した何人かの客は「本の少ない本屋ですねえ。わたしの自宅の蔵書の方が多そうです」

 旧来の典型的な零細書店だった未来書店が、2012年に大改装を遂げてからは全国の本屋の注目の的になる。そして世界各国からも見学者が訪れる。狭い本屋だが、実は立派な未来型「大書店」なのである。仮想の本屋「未来の書店」新生の物語を始めてみましょう。
<2010年11月3日 この物語はいうまでもなく完全フィクションです。南浦邦仁 記 続く>
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