水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

忘れるユーモア短編集 (83)忘れもの

2020年07月06日 00時00分00秒 | #小説

 子供の頃、親に『忘れもの、ないわねっ!』などと言われたことがあると思う。この忘れものという魔物は厄介(やっかい)な存在で、とんでもないときに現れては知らないうちに消え去る・・という荒業(あらわざ)を熟(こな)すから困りものだ。最大限の力を発揮すれば、忘れものをしたことさえ忘れさせるから油断ができない。
 とある駅の遺失物取扱所である。
「あの…つかぬことをお訊(き)きしますが、こんな形の入れ歯の忘れもの、届いてないでしょうか?」
「あなたの、ですか?」
「いいえ~! 昨日(きのう)、一緒に乗った父親のものです」
「乗車されたときは、確かにあったんですね?」
「えっ? ああ、そう聞いとります…」
「生憎(あいにく)、今のところ届いとらんですな…」
 そのとき、父親がボリボリと頭を掻(か)きながら笑顔で現われなくてもいいのに現われた。
「はっはっはっ! いやいや、どうもどうも。ありましたわいっ!」
「あったんですかっ!? そら、よかった!」
「えっ! あったの? 父さん」
「あったあった、大ありだぞっ、倅(せがれ)よっ!」
「どこにっ?」
「メガネ・ケースの中じゃ」
「どうして、そんなとこに?」
「忘れるといかんと思おてな、メガネ・ケースに入れといたんじゃ。それを、うっかり忘れとった。はっはっはっ…」  駅員は、忘れものはあんたの頭だろっ! とは思ったが、そうとも言えず、愛想笑いしながら窓口から遠ざかった。  忘れものしたことを忘れると、笑うしかない訳だ。^^

                                     


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