都会に住まいされる方々には理解していただけそうにない話で誠に申し訳ないと、まずお詫(わ)び申し上げておこう。^^ というのも、この話の設定が地方道だからである。私には誰も通らない細道と市道の交差点に信号が敷設(ふせつ)されていること自体、未(いま)だに理解できず、分からない社会現象の一つになっている訳だ。誰も通らない田畑の中の細道・・それを縦断する市道に次々と猛スピードで走り抜ける車の数々・・そこに申し訳なさそうに立つ寂しい信号。今日はこの寂しい信号が主人公である。^^
自転車で通りがかった男が知り合いの農夫と立ち話をしている。
「この信号、立ったのいつでしたかなぁ~?」
「そうですなぁ~。もう、かれこれ五年にもなりますか…」
「もう、そんなになりますか…」
「早いもんです。しかし、私らにすれば、ムダでいらんように思えますな」
「ムダですか?」
「はい、ムダです。誰も通らんのですから、ははは…信号にしてみりゃ、無用の長物のように誰も通らん道に立ってるだけですから、嫌になりますぞ、きっと。私なら堪(たま)ったもんじゃありません」
「確かに…。寂(さび)しいでしょうなっ!」
「ええ、そらもう! 寂しい信号そのものです…」
「立てなきゃ、地方債がわりの財源にでもなりましたか?」
「なりますなります、なりますとも! 信号は寂しくっちゃ~いけませんっ!」
「ははは…確かに! しかし、なぜこんなところに? それが私にはよく分からない」
「さよですなっ!」
寂しい信号は信号らしくなく、賑(にぎ)やかな場所に立つのが相応(ふさわ)しいようだ。これで分からない問題が一つ解決される。^^
完