水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

忘れるユーモア短編集 (85)曇り空

2020年07月08日 00時00分00秒 | #小説

 降るでもなく、それでいて晴れるでもない日がある。当然、灰色の雲が上空の大部分を覆(おお)い尽(つ)くす曇り空だ。これから家を出ようとする人達にとって、雨傘を忘れることが出来ない中途半端な天気である。特にサラリーマンの方々は、通勤途中で降られでもしたら困る。濡れ鼠(ねずみ)では仕事にならないし、第一、風邪(かぜ)をひく危険性だってあるからだ。
 今年から晴れて新入社員になった鎌川は、さてどうする? …と、上空を見上げながら迷いに迷っていた。家から駅までは十数分だから、まあ無理をすれば、降ってきたとしてもなんとかなることはなった。ただそれでも、ようやく買った一張羅(いっちょうら)の背広がビショ濡れになり、これでは話にならない。
「遅刻するわよっ!」
 母親が迷う鎌川の背中へ声を投げた。
「ああ…」
 鎌川は否応(いやおう)なく返事だけはした。が、気持はまだ大揺れに揺れていた。そしてついに、遅刻ギリギリとなり、決断の時がやってきた。
「{雨傘(あまがさ)を手に取り}…出陣じゃ!!」
 鎌川は昨日(きのう)観た国営・歴史劇の台詞(せりふ)の一節(ひとふし)を、誰に言うでもなく浪曲調にガナっていた。言わずと知れた天下分け目の戦いである。^^ 恐らくは一万五千の兵とともに松尾山に陣した武将のつもりだったのだろう。^^
 数時間後、曇り空から大粒の雨が落ち出し、やがて豪雨となっていった。鎌川の判断どおりになったのである。
「これでいい…」
 勤務する役所に到着した鎌川は、ズブ濡れた雨傘を畳(たた)みながら、勝った東軍の総大将のような台詞を口にした。
 この話は余談だが、まあ、降ろうと降るまいと、忘れることなく傘は持って出かけられた方が曇り空の日はいいだろう。^^ 
 
                                     


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