(コロナ感染のニュースばかりを流す本当の理由とは)
政治については、この一年間、テレビとか新聞もそうですが、見ていたらもうコロナ感染の話ばかりで、いいかげんもう嫌になります。「毎日毎日、何人出た、何人出たということばかり、一年間、よく飽きずにやるな」と。
このへんは、私はアナウンサーとかを尊敬するところはあるのですけれども、もうとてもではないけれども、まねできないのです。ああいう知性はどうしたら訓練ができるのかが、私には分からないのです。
地震などでもそうです。地震速報がパッと流れて、いきなり入ってくる。「大きな揺れがありました」と。あとは情報がないのに延々と番組をもたせ続ける。それを言い続けていって、小出しに出して同じことを何回も何回も、一時間も二時間も三時間も、夜中まで言い続ける。やはり「あれはすごいな。落語家を超えているかもしれない」と思うところはあるのです。何時間でも同じ話題を言い続けられるという、あの能力はすごいです。
本当は、政治家になりたかったら、やはりああいう能力を身につけなければいけないのだろうと思うのです。バカの一つ覚えみたいに同じことばかり言い続け、言い続けて、何回も浸透させて、「もう聞き飽きた」というぐらいまで言えば、だいたい言っていることが分かってくるのだけれども、一回言って終わりだったら、みんな覚えてくれないところもあるし、話の一部しか聞いていないこともあるのでしょう。
世の中には、そういうふうに、同じ話を何十回でも何百回でも延々とやり続ける人がいる。そういうことも一つの能力なので、すごいなとは思っているのです。「コロナの感染者は何人です。死者は何人です。退院は何人です。ベッドの占有率はこうなっております」ということを延々と一年以上やり続けています。「よくこれが続くな」と思って感心はしているのです。
それは言ってもいいのですけれども、ただ、退院した人もいるので、差し引きすると本当にニュースにはならないのです。「罹(かか)った人が何人」から「退院した人が何人」を引いてみたら、いつもに、二、三万人とか、そのくらいになるのでこれではニュースにはならないし、大きければ大きいほどニュースっぽく見えるので、それをいつも流しているのです。
あるいは、「風邪をひいた人は何人」とか、「インフルエンザに罹った人が何人」とかを毎日発表したら、国民は怒り始めると思うのです。「もういいかげんにしろ」と絶対に怒ると思うのですが、コロナウィルスは珍しいし、初めてなのでよく分からないから続いている、というだけだろうと思うのです。
インフルエンザも何百万人とか一千万人とか行きますから、それは大変な数ですけれども、情報価値がそこまであるかどうかについては、若干の疑問があると思います。
これは国民に一定の方向づけをして刷り込むためにやっていて、あれだけやられると刷り込まれることはありますので、そらから頭が離れなくなっているところはあると思います。
そういう「危機対応をやっている」というふうに見せるということで、国の首相や官房長官、あるいは経済再生担当大臣だとか、よく分からない人たちが出てきます。
経済再生担当大臣が、なぜウィルスの担当をやるのか、私にはよく分からないのですけれども、「とにかく口がうまいやつが出てこい」ということなので、やっているかなとは思うのです。まあ、厚労省とかは出す人がいないのかもしれません。
毎日のようにやっていますけれども、あれで政治家はPRができるのでいいことはいいし、都知事や県知事とかも、珍しく“全国版”に出られるチャンスではありますので、政治運動を一年中やれるという意味では非常にいいのです。
しかも、国民は、“恐怖体験をすればするほど喜ぶ”傾向があるので、厳しいことを言うと人気が上がるような傾向もよく出て、これが“病みつき”になっている人もいるような気がします。
「もう緊急事態が・・・・・」とか「まん延防止は・・・・・」とかいろいろ言うたびに、そのまま視聴率が上がると同時に、指導力があるように見えるし、見せられるというところです。
このへんにだいぶ“感染されてきている”ように思いますが、ちょっと考えなければいけない面はあるかなと思います。
あれは、“全体主義の練習”をしているのです。都知事レベルでもそうだし、県知事レベルでもそうだし、国でもそうですけれども、政治家のテレビの前での発言一つで、あらゆる業界を潰(つぶ)そうと思えばもう潰せるようになっているということを見せているわけです。「別に中国にならなくとも、日本でもやれるんですよ。業界は潰せるんですよ」ということです。
---owari---
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