奇跡の武将、戦の申し子、神仏の加護を一身に受けた男・・・・・こんな称賛の言葉が次々に浮かんでくる強運の持ち主。生涯に五十七度戦場に臨むも、かすり傷一つも負ったことがなかった。
その強運の武将とは徳川家康の重臣、本多平八郎忠勝(ただかつ)である。
忠勝は酒井忠次、榊原康政、井伊直政と並ぶ徳川四天王の一人。四人はいずれも千軍万馬往来の勇士として聞こえていた。なかでも忠勝は、戦場では常に抜群の働きをする勇猛果敢な闘将であった。
忠勝は戦に臨んで、いつも薄手の軽い具足を身に付けていた。井伊直政などは鎖(くさり)を入れた頑丈な具足で全身をまとい、万全の備えで戦に出たが、それでも何度か重傷を負っている。
忠勝は部下を大切に扱う将としても知られていた。徳川家の武将に奉公を願い出る浪人五人のうち四人までが、忠勝の下で働きたいと望んだほど人望があったという。
あの他人に厳しい織田信長も、忠勝のことは「花も実もある武将」と称え、徳川軍と戦った武田信玄家中ですら「家康には過ぎたるものが二つあり、唐の頭(兜:かぶと)に本多平八」と称賛した。
そんな忠勝に対し、家康は常々「徳川家の宝」と広言してはばからず、頼りにすることひと通りではなかった。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます