このゆびと~まれ!

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恩賞の与え方-明智光秀の心ない名将のエピソード

2020年11月16日 | 歴史
「今まで提供した情報で、どれだけ細川様が得をしたかわからないはずです。もう少し給与を上げて下さいよ」
しかし米田は首を横に振った。
「おまえのいう理由は通らない。それに細川家はまだ貧乏でおまえのような放浪者出身の雇い人に、多くの給料を与えるわけにはいかない。嫌なら出ていけ」
といった。

光秀は、
「そうですか、では出ていきます」
といって、細川家を飛び出してしまった。

やがて、明智光秀は再び細川幽斎に巡り合った。このころの光秀は、越前の大名朝倉義景の客分として一乗谷の館にいた。ここへ、足利義昭をいただく細川幽斎が転がり込んできた。光秀は幽斎と相談して、義昭を将軍にする働きかけを織田信長にした。信長は快諾した。そして、武力で京に攻め上り、足利義昭を見事に将軍に仕立てあげた。これによって、明智光秀と細川幽斎は共に織田信長の有力な大名に出世した。

そうなったとき、信長は、「幽斎の息子忠輿に、光秀の娘を嫁にやれ」と命じた。
この婚姻が成立して、幽斎の息子と光秀の娘お玉が夫婦になった。
このとき、細川家に行った光秀は、廊下を歩いて行くと、前から来たある老武士がいきなり立ち止まり、くるりと反転して逃げ出すのを見た。
(はてな?)
と考える光秀は、思い出した。
(米田だ!)

光秀は、祝い事が済むと、幽斎にいった。
「米田という男がまだおりますか?」
「おります。なにかご存じで?」

幽斎に、光秀は若いころの話をした。幽斎は恐縮した。
「それはちっとも知りませんでした。私におっしゃって下されば、あなたのような有能な人物には、当然給与を増額致しましたのに。これは米田の計(はか)らいが悪く、とんだご迷惑をおかけ致しました」

そう詫びる幽斎に、光秀は手を振ってこう言った。
「いや、昔の恨みを申し上げているのではありません。私は逆に米田殿に感謝しているのです。米田殿に拒絶されたからこそ、発奮して織田信長様にお仕えし、あなたとこうして同じ立場に立つことができました。お願いがあります」

「なんでしょう?」
「私からと申して、米田殿の給与を引き上げて下さいませんか。昔の恩を光秀はまだ忘れていないとお告げ下さい」
「なるほど……」
幽斎はうなずいた。しかし、彼は心の中で考え込んだ。
(はたして、そうすることがいいか悪いか、ここは充分に思案しなければならない)
と思ったからである。

しかし、明智光秀の言葉を幽斎の他にも聞いた者がいた。そのとき、座に連なっていた者がいたからだ。こういう連中がその後、米田に聞いた。
「米田殿、ご加増はありましたか?」

米田は何のことかわからずにポカンと相手を見返した。相手は、実はこの間こういうことがあったのだと話した。米田は、すぐ幽斎のところに行った。そして、
「こういう話を聞きましたが、事実でございますか?」
「事実だ」

幽斎はうなずいた。米田は言った。
「それでは、なぜ私の給与を増額して下さらないのですか?」
米田をじっと見返して幽斎はこう答えた。
「そんな理由で加増すれば、おまえは生涯苦しむことになるぞ」
「は?」
米田には幽斎のいうことがわからない。幽斎は説明した。

「明智殿は、今は出世をしたからそういうことをおっしゃるのだ。もし、昔と同じ立場にいたら、おそらく今まで持ち続けているおまえへの恨みを今後も持ち続けるだろう。今は器量が大きくおなりだから、そういう勝者の寛容でおまえの給与を上げてやってくれと私にいうことができる。

しかし、もしこれを理由にしておまえの給与を上げれば、こんどはおまえはいつも考えるだろう。なぜ、自分の給与は上がったのだろう、と。そうなると昔、おまえが明智殿にとった仕打ちを、いちいちおまえは思いださなければいけないことになる。つまり、この事件は、明智殿にとっても、おまえにとっても心の傷なのだ。

明智殿は、出世によって、この傷にカサブタを貼ることができた。癒すことができた。しかしおまえは違う。おまえの立場は依然として私の部下だ。そうなれば、こんどはおまえの心の傷のほうが大きく広がってしまう。それが不憫(ふびん)で、私はおまえの給与を上げなかったのだ」

幽斎の言葉に米田は恥じ入った。
「私の考えがあさはかでございました。おはずかしゅうございます」
「いい。わすれて今まで通り励んでほしい」
「はっ」
米田は平伏した。

このへんが、実をいえば細川幽斎と明智光秀の、トップとしての心構えの差だ。幽斎からいわせれば、明智光秀は、昔のことなどいい出すべきではなかった。米田が廊下でくるりと逃げたのなら、黙ってそれを見過ごすべきであった。それを、自分が今は偉くなったのも、あの男のおかげだなどと言われては、米田の立場はない。また、そういう部下を抱えていた幽斎の立場もなくなる。

その意味で、細川幽斎は、
(明智光秀は、心ない男だ。名将ではあるが、やはりどこか欠けているところがある)
と感じたのである。恩賞の与え方にも、こういうひとひねりした変化球があったというエピソードである。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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