(サッチャーは社会主義と戦った)
サッチャーが強かったのは、対立する労働党政権の依って立つ「社会主義」そのものを批判する思想的信念があったからです。「ゆりかごから墓場まで」が常識となった英国では、保守党の議員でも、倫理的・知的に肩身が狭くなり、日本では『西国立志編』(翻訳書)として知られる『自助諭』の著者スマイルズも目の仇にされる時代だったといいます。
サッチャーは「金持ちを潰すことによって貧乏人を助けることはできない」「その人ができること、自力でやるべきことを、その人に代わってやってあげても、恒久的な助けにはならない」と国民を説得し、累進課税を支える嫉妬心や、国家依存主義、悪平等主義と戦ったのです。
1982年にフォークランド紛争が勃発すると、サッチャーは、主権を守るために決然と戦って勝利しています。国力が低下すると、戦争を仕掛けられることもあるという教訓です。1988年には公営住宅を売却し、民営化を推進するほか、教育法も改正しました。北海油田の開発が成功したことも、英国の再生に大きく貢献しています。
事実上の「英国病克服宣言」を行ったのはブレア内閣の2001年。アトリーの「福祉国家宣言」から、実に53年も経っていました。
---owari---
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