このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

サラリーマンがノーベル賞を取る日本の実力

2017年09月17日 | 日本

日本人はノーベル賞が取れないと経産省は言うが、ノーベル賞のほうが間違っている。最近は日本も受賞者が多くなってきたが、国別ランキングでいえば、ロシアに続いて8位。

 

ノーベル経済学賞はこれまでのような理屈だけの経済学に賞を出していると、ノーベル経済学賞自身が疑われてしまう。もっと血が通った、人間の気持ちが入った、読み物としても面白い経済学の本を書いた人にノーベル賞を出そうということになる。

 

その口火を切っているノーベル物理学賞や化学賞で、基本特許よりも応用特許、基礎科学より人類の幸福に役立つ科学――というよりはテクノロジーのほうに受賞者が移ってきた。

 

サイエンスよりもテクノロジーのほうにノーベル賞を出さないと、人気がなくなって自身の存在が危なくなる。あるいは優秀な若者がノーベル賞を目指すと、みょうちきりんな研究ばかりするようになる。それへの反省と揺り戻しである。

 

2002年日本人が二人同時に受賞して話題になった。民間企業(島津製作所)の技術者であった田中耕一さんが化学賞を受賞した。特にサラリーマンの田中さんが取ったことは快挙として私たちを喜ばせてくれたが、応用技術のほうに賞を与えようと、ノーベル賞自身がそちらの方向へと変わってきたのである。

 

すなわち、日本のほうが先進国だったのだ。世界人類が褒めたくなるようなことを、日本人はすでに実行していた。だから向こうが褒めるようになったのであって、サラリーマンが受賞したことの理由と意味は、このような視点で見たほうが正しいと思う。

 

ところが、経産省とか文科省は、「日本人はもっと基本的なことをすべきである。ノーベル賞を取れるようにならなくては、日本は終わりだ。国立大学の超一流教授にもっと補助金を出して、ノーベル賞を取れるようにしようではないか」と数年前から熱心である。

 

この考えは一周遅れている。日本の若者がみんなノーベル賞を取るようになったら、日本経済はつぶれる。経済だけではなく国家がつぶれる。国立大学への研究費増額より、企業に減税して社長がきちんとボーナスを渡したほうがよっぽど良い。

 

経済学とノーベル賞の関係も同じである。かつてはイギリス人が主力であった。ところが、優秀な若者がみんなノーベル賞を目指すようになると、英国経済はすっかり沈滞してしまった。

 

ノーベル賞というものはその程度のものであって、「離れて見れば富士の山」だが、そばに寄ってみればアバタだらけである。

 

だからディアドラというシカゴ学派の学者が「ノーベル賞経済学者の大罪」(筑摩書房)という本を書いた。このディアドラは面白い人で、四十歳ころ性転換をして女性になった。だから今は女性である。なかなか美人なので写真が載っているが、それはともかく、この人がノーベル経済学賞はインチキだという理由をたくさん書いているから読んでみられると参考になるだろう。

 

過去のノーベル賞受賞者863名に対し、アメリカ(326名)とイギリス(108名)で半数を占めている(2012年までの実績)。この偏りがインチキだという理由の証なのかもしれない。

 

しかし、21世紀以降、自然科学賞部門の受賞者国別で日本はアメリカに続いて世界第2位となった(Wiki)。素晴らしいの一言であり、更にその受賞者数を増やしていただきたい。ちなみに日本人で受賞できそうな候補者はまだ十数人の名前が現時点で上がっており、更なる期待を寄せられそうである。

 

さて、日本はなぜ、ここにきて急速にノーベル賞を受賞できるようになったのか?

 

それは、21世紀に入って以降、物理、化学、生理・医学での総受賞数21に対して16と実に76%を今世紀に入って受賞している。その多くの研究は長い歳月をかけて積み上げたものであるとすれば20世紀後半以降の日本の研究が花咲いたとも言えるのである。

 

日本人は世界の中でもある意味、独特な特徴がある。それは研究や物事に対するあくなき追及、没入とも言うが、そのレベルが圧倒しているように思えるのだ。海外の場合は、時間とワークバランス感覚が素晴らしい一方で、これほどのこだわり感を日本人ほど持つ人は少ないと言われている。

 

日本人の研究熱心な姿勢は民間事業から主婦の料理のレシピまで驚くべき研究力、探求力を持っている。自動車からスマホの部品まで日本の製品がないと世界が困るほど次々に新しいアイディアを生み出す能力は自画自賛してもよいと思う。

 

欧米の弱みは最後の詰めと細かい作業だと言われている。80%の仕事や大枠の捉え方、アイディアや発想は素晴らしいが、最後の気力を振り絞るのはあまり得意ではなく、投げてしまう傾向が往々にみられるのだ。その点、日本人は100%を勝ち得ても更に確証を求める、というスタンスを持ち続けている。この姿勢がこれだけの成績として残ったと思うのです。

 

「三度の飯より研究」というのは日本人ぐらいで、それは時として世界から批判の対象になるわけですが、人の価値観が物欲ばかりではなく、達成感により大きな快感を求めるその精神構造の差ではないのでしょうか。これがまさに日本人のDNAなのです。若い人にも継承していただきたいと願っています。

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 愛に生きる | トップ | 日本の「創造力」の底力が凄... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事