~中西輝政著「国民の文明史」を読む~
危機に立ち向かうには、「我々らしさ」に立ち戻る必要がある。
(17世紀初頭の江戸幕府も同様だ)
徳川家康は、平安の世を継いで「日本」を回復したのは源頼朝であると確信していて、自分はそれをやるという文明的使命感を意識して、江戸幕府を開いた。・・・
前述のように頼朝の尊皇思想は、当時の武士階級の中でも際だって篤いものであった。だから、家康は「尊皇主義者」なのである。
そして明治維新も、上述のように立憲君主国家という西洋風の衣替えをした「王政復古」であった。日本文明は、数世紀毎の危機のたびに、新しく政治体制を作り替えて乗り切ってきたのだが、その拠り所となったのは、常に「国家統合の中核としての皇室」であった。それが「我々らしさ」であり、この点は天皇を「国民統合の象徴」とする現代も変わらない。
(「ますらおぶり」と「たおやめぶり」)
それぞれの危機を「瞬発的な適応」によって乗り越えた後には、「爛熟(らんじゅく)と停滞」の時期が続く。平安時代、室町時代、江戸時代などである。文学や芸術、宗教などの面で日本文明が深まりを見せていく。このように安定と繁栄を得たときに、平和で持続的な時代に自足するというのも、日本文明のもう一つの側面である。
西洋文明や中華文明には、日本文明にある縄文的なるものという「自足の衝動」がないので、限りなく膨脹しようとする。食べきれないほどの食料を得ようとし治めきれないほどの領土を獲得しようとする。それは、自己均衡の本能が壊れた姿であり、自然観、あるいは「人間と自然との関係」へのバランス感覚を欠いた人間文明としての「本源的な欠損」といってよい。
一万年も続いた縄文時代では、日本人は巨大木造建築などの高度の技術を持ちながらも、自然と共生する平等社会を営んできた。また江戸時代にも、この日本列島に自足しつつ、発達した市場経済に基づく豊かで平和な社会を建設した。
日本文明の危機に立ち向かう様相を「ますらおぶり(男らしくておおらかな精神)」と呼ぶなら、こうした平和に自足する姿は「たおやめぶり(女性的で繊細な精神)」と呼ぶべきだろう。
(平和な時代の問題先送り)
しかし、ひとたび「たおやめぶり」のモードに入ってしまうと、日本人はぎりぎりの処まで浸ってしまうので、それが内的危機を累積させていく。
いわゆる前倒しで処理をしようとか、危機に備えてできるうちにできるだけのことはやっておこうとはしない。善くも悪しくも「先送り」が得意なのかも知れない。
内的な危機の積み重ねをなんとか小手先の改革でしのいでいるうちに、対外的な危機が海外から押し寄せてくる。それに対処できないことから、内部の体制もこれではだめだと目覚める。これが今までの危機が常に内外同時に押し寄せてきたように見える原因かも知れない。
ともあれ、外部からの危機が迫ってくる迄には、内部の危機は先送りされてしまう。そういう時には、平和な時代を作り上げた「我々らしさ」、すなわち「国家統合の中核たる皇室」の存在が忘れられてしまう。
・・・天皇の役割は、日本文明においてふだんは水面下に姿を隠しているが、その天皇の役割および天皇の存在自体が、限度を超えて「見えにくくなる」と、なぜか大きな国家的・対外的危機や、「文明としての危機」が近づいてくるのである。そして、それを何らかの形で自覚することによって、日本文明は再生期を迎えることになる。
(「歴史的危機とは、人間の心に生ずる」)
「爛熟と停滞」の挙げ句に、「我々らしさ」の原点を忘れた典型が、室町幕府第三代将軍・足利義満である。「日本国王」を僭称(せんしょう)(身分を越えて勝手に称号をとなえること)して明に臣従し、朝貢貿易を行った。これは聖徳太子以来の対等外交の伝統を破ったものであった。また義満は最終的には自分が天皇になろうとさえした。
室町幕府は、政治史的には以上のような形で、日本の根幹を揺るがし、日本人の文明意識・アイデンティティの根幹を揺るがし、それゆえに乱世を日本に現出せしめたのだ、と一貫して考えられてきた。
しかも、足利政権時代の洛中洛外は、「死者累々」の惨状や野盗の横行する混乱にしばしば陥った。それは、さながら中国の王朝末期のようであったとたとえられてきた。
19世紀の歴史家ブルクハルトは「歴史的危機とは、人間の心に生ずる」と指摘した。20世紀スペインの哲学者オルテガは、危機を「人間の心が千々に乱れてどちらにも向かえないような状態」と定義した。
為政者が、自らのアイデンティティ、すなわち「我々らしさ」の原点を忘れて私利私欲に走っては、国民各層も自己の利益に走るのみである。一致結束して問題に立ち向かうことはできず、それが政治的・経済的な危機を作り出すのである。
(現代の危機に立ち向かう使命)
危機を作り出すのも克服するのも、人間の心だ、と知れば、日本文明の3~4世紀毎の危機のサイクルの原因もよく理解できる。それは、危機に立ち向かう気概、危機克服に成功した後の自足と安逸(あんいつ)、その中で様々な問題を先送りする怠惰と怯懦(きょうだ)(おくびょうで気の弱いこと)、という人間の心のサイクルが外に現れたものなのである。
我々の日本文明がそういうサイクルを持つ、ということは、現代の危機に立ち向かう上で、大きなヒントを与えてくれる。
まず我々は問題を先送りする怠惰と怯懦に溺れていてはならない。日本文明が過去2千年の間に、何度も危機に立ち向かい、そのたびに「我々らしさ」の原点に戻って克服してきたことに、気概と自信を持つべきだ。
お隣の中国の歴代王朝は、停滞に陥っては、次の王朝、それも多くは異民族王朝に「革命」で打倒されてきた。そして王朝交替の都度、激しい内乱内戦が民を不幸のどん底に陥れた。この中華文明の「我々らしさ」を中国共産党政権が発揮するほど、その末路に近づいていく。悲劇的宿命とでも言う他はない。
とは言え、我々も先祖から贈られた日本文明の「我々らしさ」だけで危機が乗り越えられると油断すべきではない。現代のわが国は教育・治安・政治・財政などの対内危機が蓄積されつつあり、同時に北朝鮮の暴走や、中国の軍事的膨脹によって対外危機も忍び寄りつつある。
日本文明の「我々らしさ」とは何なのか、それをどう発揮すべきなのか、ここをよく考えて、現代の危機を乗り切っていかねばならない。我々の子孫の幸福もそれにかかっている。中西輝政氏の「国民の文明史」は、こう問いかけている。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
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