「人から褒めてもらえる」ということは、とてもうれしいことです。
「正しい言葉で人をほめてあげよう。人に対しては、優しい言葉を投げかけ、愛を与えよう」と言っても、現実には、優しい言葉をかけ、愛を与える人の数は、まだまだ足りません。
そこで、どうしても人がほめてくれないのであれば、たまには自分で自分をほめたほうがよいでしょう。
見方はいろいろありますが、自分に関しては自分がいちばん情報を多く持っているのですから、「少し見方を変えてみようか」と考えることです。
「あの人と比べて劣っている」「こうならなければ失敗だ」という考え方でいくと、「自分は駄目な人間だ」ということになるかもしれませんが、少し違う見方もあるのではないでしょうか。
現在の自分は、小学生のころから見れば、ずいぶん成長したはずです。
十代のときには、「こんな自分は、一生、結婚できないのではないか」と悩んでいた人が、いまは、「不作の女房をもらった」と悩んでいるかもしれません。
しかし、「結婚できない」と思っていた自分から見ると、「結婚できた」ということだけでも、とても偉いことではないでしょうか。
また、「こんな不作の女房であっても、それを養いつづけているというのは、偉いことではないか」という見方もあるでしょう。
子供の出来が悪くて悩んでいる人の場合は、「こんな出来の悪い子供であっても、それを育てているというのは、すごいことではないか」という見方もあります。
六十歳で平社員である人の場合は、「六十歳で平社員であっても、仕事を続けているのだから、大いに情熱があるではないか」という見方もありますし、「病気をしないだけでも大したものではないか」という見方もあります。
髪の毛で悩んでいる人の場合は、「髪の毛がまったくなくなる人も多いなかで、たとえザビエルのようではあっても、周りに少し毛が残っているだけでも、すごいことではないか」「白髪になったけれどもロマンスグレーで、かっこいいではないか」などという見方もあります。
そのような見方もあるので、人があまりほめてくれないのならば、たまには自分で自分をほめたほうがよいのです。
毎日毎日だと、やりすぎかもしれませんが、週に一回ぐらい、「こんな鬱(うつ)状態だし、まあ、たまには自分をほめてみるか」という気持ちを持ってもよいのです。
『週に一回ぐらい、「こんな鬱状態だし、まあ、たまには自分をほめてみるか」という気持ちを持つ』(仏法真理)
---owari---
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