(それぞれの学校によって異なる「規律の厳しさ」)
「教育者は、保護者に代わって子供を預かっている」という観点から行くと、いろいろと警戒心(けいかいしん)が強くなったり、「事前抑止(よくし)」という考えが強くなってきたりするのだと思います。
やはり、善悪の問題は、人と人との関係や、「それが、他の人や周りにどのような影響を与えるか」という結果からも判断されるところがあるので、難しい面があるのです。
これは、どこの学校も頭の痛い問題ではありましょう。特に共学校であれば、どうしても厳しくなる面がありますし、女子校の場合でも、規律がキチッとしていないと親が信用しないので、「女子校だからこそ厳しい」というところもあるわけです。
やはり、このあたりは難しいところでしょう。はっきり言って、文科省であっても、「男女交際等は、どこまでならよいか」というようなことを出すのは、かなり難しいのではないかと思います。
それは、大人になる速度の問題でもあろうし、また、学校教育の目的として何を目指しているかによっても、違うことはあるわけです。
従来の伝統で行くと、進学校になればなるほど、だいたい、厳しめになる傾向(けいこう)がある一方、遊びが中心の学校になると、緩(ゆる)くなるところはありました。これについては、自然とそうなるのかもしれません。
つまり、その規律のもとは、「みんなが遊んでいるときに、自分はコツコツとした勉強をしていられるかどうか」というところにかかわってくるのです。そして、それによって、人生の道筋(みちすじ)が違ってきます。
もちろん、「大学に入ってから遊ぶ」とか、「大学を卒業して、社会人になってから遊ぶ」とか、いろいろと段階はあるでしょう。しかし、「どの時点で自分を楽にするか」ということと、「目指しているものの達成」とには、関係があるだろうとは思います。
早いうちに自由になるほど楽かといえば、気をつけないと、「小学校あたりから親が共働きで家を出ていて、鍵(かぎ)を持って自由に入れるところに、学校の悪ガキが山賊(さんぞく)のように集まって、家のなかで悪さをしている」というようなことだってありえるわけです。やはり、このあたりの関係には非常に難しいものがあります。
---owari---
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