国民のうち本当の英語力が必要なのは日本人の数%しかいない、という日本の状況は世界でも珍しいのです。
たとえば、英語の話せるインド人は9000万人に上ると言われています。総人口が12億6000万人なので、それでも7%台ですが、国際会議や交渉の場で、インド人があの変わった抑揚の英語でリードしている場面にはよく出くわします。
・・・・・インド人は日本の大学では日本語で授業が行われていると知ると、驚くのだという。日本人の英語力の低さに驚いているのではない。日本人が母国語で自然科学や社会科学といった高度な学問を学べることに驚くのである。
インドの大学では英語で授業が行われています。これは500万人以上の話者を持つ言語が26もあるという多言語国家で、英語が準公用語となっていることと、大学の教科書は英語で揃(そろ)っているので、そのまま使った方が効率的だという事情があります。
そもそも世界で、自国語で大学まで学べるという国はそれほど多くはありません。ヨーロッパでもドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ロシア語などの大言語を除けば、デンマーク語とかアイルランド語とかチェコ語といった話者の少ない言語の国では、大学の教科書のような少人数向けの本は出版できないからです。
もう一つは、大学で扱う高度な近代的概念用語を揃えた言語もそれほど多くない、という事情があります。たとえば、「中華人民共和国憲法」とか「北朝鮮民主主義人民共和国」などでの「人民」「共和国」「憲法」「民主主義」などは、日本の明治の先達(せんだつ)が漢字にした概念用語を近隣諸国は直輸入して使っているだけです。
輸入品だから、いつまでも憲法や民主主義などが根づかないのだろうと皮肉の一つも言いたいところですが、逆に日本から輸入した概念用語がなければ、中国語や朝鮮語では大学教科書は作れなかったか、作れても何十年も遅れたことでしょう。
自国語で大学教育ができるというのは、それだけその言語で高等教育を受ける人口規模が大きいことと、その言語が高度な近代的概念用語を揃えている必要がある、ということなのです。そういう言語は世界でも十指に満たないでしょう。日本はそれだけ恵まれた環境にあるということです。
---owari---
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