㉕今回のシリーズは、石田三成についてお伝えします。
三成は巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる知的な武将です。
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「なにをいう」
三成は、背骨を立てた。頬は削げおちていたが、両眼に気塊をこめ、正則をにらみすえた。
「うぬのような智恵たらずの男に、おれの心のありかがわかってたまるか。そこをどけ。めざわりである」と、ひくいが、しかしよく透る、底響きのする声でいった。三成は、自分の尊厳を維持することに、残された体力のすべてを使おうとしていた。
「なぜ汝は」
と、正則はさらにいった。死なぬ。切腹をせぬ。縄日のはずかしめを受けておる(古語で「縄で縛られて恥をかいている」)、とたたみかけたが、三成は蒼白の顔をひきつらせ、うぬに英雄の心事がわかるか、と、みずからをもって英雄と呼んだ。
「英雄たるものは最後の瞬間まで生を思い、機会を待つものである」
と言い、かつ、これは三成が声を大きくして叫びたいところであったが、
「人々の心の底を、この目で見て泉下(せんか:死人が行くという地下の世界)の太閤殿下に報告し奉る。正則、心得ておけ」
といった。
要するに三成は戦いの渦中にあったがために、諸将の動きがさほどにはわからない。だれがどう裏切ったか、ということを見とどけた上で死ぬ。それを泉下の秀吉に報告する。かつ糾弾する。この病的なほどの、いやむしろ病的な正義漢は、そこまで見とどけた上でなければ死ぬ気にはなれなかった。
三成は秀吉在世当時もその検察官的性格のために人々にきらわれたが、この期にいたっていよいよそれが露骨になり、いまや地にすわらせられながら、馬上の勝利者どもを検断する気塊だけで生きているようであった。
「世迷いごとを言うわ」
と、正則はついには言葉がなくなり、蹄(ひづめ)で土を蹴(け)って三成のそばを去った。
つぎに来たのは、黒田長政である。この関ケ原の裏面工作の担当者は、三成の姿をみるや、馬をおり、三成の前に片膝をつき、
「勝敗は天運とはいえ」
と、意外な態度でなぐさめはじめた。五奉行の随一といわれた貴殿がこのお姿になったことは、かえすがえすも御無念であろう、といった。長政は三成を憎み、三成の肉を吹いたい(事実を大げさに誇張して話すことを意味する慣用句)とまでいった男である。それが三成の手をとり、その冷たさにおどろき、自分の着ていた羽織をぬいで三成に着せかけた。
三成は、検断者としての言葉を失い、目を閉じ、顔を凝然(ぎょうぜん:じっとして動かないさま)として天にむけている。
ついに三成ははずみをうしない、一言も発しなかった。この意外なやさしさが長政の性格でもあり、ひとつには関ケ原における長政の最後の策でもあったというべきであろう。
ここで三成からよしなき罵倒(ばとう)をうけ、豊臣家への忘恩行為をあばきたてられて無用に男をさげるのは、長政のとるところではない。長政は、羽織一枚で三成の口を封じた。三成にすれば最後の最後まで長政の策に致されおわったというべきであったが、三成の奇妙さは、これほど明敏な頭脳をもった男でありながら、長政に致されているとは気づかなかったことであった。
その証拠に、長政が去ったとき、面を伏せ、
-かたじけない。
と、つぶやくようにいったのである。この男の頭脳にはもともと政治感覚というものが欠けていた。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
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