㉖今回のシリーズは、石田三成についてお伝えします。
三成は巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる知的な武将です。
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「しかし、いまの石田三成には、不思議に悔いはなかった。それは彼がこの天下で実現しょうとした三つの目的、すなわち、
・豊臣秀頼公を戴いて、織田信長公の政治路線を引き継ごうとしたこと。
・徳川家康をはじめとする、嘘つきどもが練り固めたこの世の中を復し、もっと真実味のある社会を建設しようとしたこと。
・そういう世の中が来たら、その時こそ、本当に石田三成の本領が発揮できたであろうこと。
この三つの目的に対し、たとえ敗れたりとはいえ、石田三成は全力を出し尽くしたからだ。おそらく、その気持ちを本当にわかってくれたのは親友の大谷吉継だけだったに違いない。大谷吉継も苦労人だ。だからこそ、彼もはじめは徳川家康に味方しようとしたのに、気持ちを翻して三成に味方してくれたのだ。
しかし、真実は常に虚偽に敗れる。本当のことよりも、嘘のほうが強い。それが現実だ。そのことをはっきり認識しただけでも、石田三成はこの企てを実際に行ったことを悔いてはいなかった。
三成たちが斬られたのは六条河原の刑場である。三成、小西行長、安国寺恵瓊の首は、先に自殺していた長束正家の首と共に、三条大橋のたもとに晒(さら)された。三成はこの時、四十一歳であった。
三成の遺体は、三成と親しかった大徳寺の円鑑国師が引き取った。そして、同寺の三玄院に懇(ねんご)ろに葬られた。
――石田三成のシリーズはこれで終了です――
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
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