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「地球人類の理想」より「気概を持ったローカリズム」を

2018年10月17日 | 政治・経済

日本国憲法は、戦前と戦後の歴史的紐帯(ちゅうたい)を断ち切られている。米国に次ぐ「民主主義の実験国」を建設することを日本国民に強いたものといえる。

 

いささか極端に聞こえるかもしれないが、その本質を「言葉」から見れば、日本語ではなく英語でモノを考える日本人をつくることである。七十年余を経て、それは「世界標準」とか「グローバル・スタンダード」といった言葉で日本人に浸透し、アメリカ主導の価値観を普遍性と見なし、それに日本という国が従属していくことを求められる過程を示してもいる。

 

同時にそれは、日本が本来持っていた独自性や可能性を今後も自ら制約し、未来を閉じることにもなりかねない。憲法改正論議は結構だが、ともすれば日本の特質や独立の視点を置き忘れ、ただ単に英米と同じような民主主義国になるべきだという方向に傾きがちなことには、私は異なった視点を示しておきたい。

 

司馬廉太郎氏の『世に棲む日日』は、幕末長州の吉田松陰や高杉晋作、井上聞多(馨)らの青春群像を描いた作品だが、その中に興味深い話が出てくる。

 

長州藩は馬関戦争で英仏米蘭の四カ国艦隊と戦い、その講和のためイギリスのクーパー提督のもとに高杉晋作を送る。クーパーは彦島を賠償の抵当として租借したいと言い出すが、支那の上海がすでに西欧の港市になり、支那人が奴僕(ぬぼく)以下に扱われていることを知っている高杉は断固としてそれを退けようとする。

 

司馬氏の筆を借りれば、こうである。

高杉は<それはならぬ>というかわりに、<気が狂ったように象徴的な大演技をはじめ>、<大演説をした。しかもその言葉は、アーネスト・サトーという語学的天才をもってしても通訳しかねる日本語>で、<古事記・日本書紀の講釈をはじめたのである。「そもそも日本国なるは」と、晋作は朗々とやりだした。

 

「高天が原よりはじまる。はじめ国常立命(くにとこたちのみこと)ましまし、つづいてイザナギ・イザナミなる二柱の神が現れ・・・・(略)」とやり、つづいて天照大御神の代になり、天孫ニニギノミコトへ神勅をくだしてのたまわく、と説き、その神勅を披瀝(ひれき)し、えんえんとして晋作の舌はとどまるところがない。

 

長州藩も四カ国側も、ぼう然としている。晋作はできれば、これを二日間ほどやり、そのあげく日本は一島たりとも割譲できないというつもりであった。

 

が、クーパーのほうが折れて出た。「私は租借のことは撤回したい」とクーパーはいった。晋作の象徴的大演技は、ようやく終わった>

 

<アーネスト・サトーという語学的天才をもってしても通訳しかねる日本語>でよいのである。司馬氏は、伊藤博文が後年、初代統監として朝鮮半島に渡る途次、船上から彦島を見て、かたわらの者に<あのときもし高杉がうやむやにしてしまわなかったなら、この彦島は香港になり、下関は九竜島になっていたであろう。おもえば高杉というのは奇妙な男であった>と語ったと、その章を結んでいる。

 

司馬氏の創作がどこまで入っているか知らないが、これは日本人の力を考えるうえで示唆に富む話である。

 

英語はできなくともよい。日本が自らを守るのに何がより必要であるかを示している。

われわれは「奇妙」でよい。この時代、帝国主義がグローバル・スタンダードで、それに従えば租借を呑むしかない。だがそれにあらがう高杉の奇妙さが、むしろクーパーに対して主張を通させた。これを現代に置き換えれば、普遍主義の亡者になってはいけないということである。気概を持ったローカリズムでよい。

 

そして、一国の憲法とは、普遍的な地球人類の理想を追求するものである必要はなく、そこに暮らす人間のローカリズムに根ざした価値観、歴史的な慣習や常識に照らしてつくればよい。そこに立ち返ったとき、日本は自らを守る力を持つと同時に、もっと自由で豊かな国になれると私は思っている。

 

---owari---

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