みなさんは、「愛というものは、人間と人間とを結びつけている対価でもある。そういう経済的な指標としての金銭にもよく似たものである」ということを知らなくてはなりません。
金銭は、じっと持っていても増えるものではありません。一万円を金庫にしまっておけば、それは、いつまでたっても一万円のままです。しかし、それを使うことによって、その一万円は、どんどん増えていきます。
あなたが、一万円を使って、たとえば一冊千円の本を十冊買うとします。そうすると、その十冊の本を使って勉強することができます。勉強したことでもって、人を教えることもできれば、自分自身の心を磨くこともできます。また、それを将来の投資に使い、将来、研究したいことや、将来、自分の仕事で使うことの勉強をすることもできます。そのとき、一万円は、さらに大きなものになって返ってくるでしょう。
一方、あなたが使ったその一万円は、書店にとっては収入になります。その一万円を使って、彼らは生活をすることもできますし、仕入れ先にお金を払うこともできます。彼らは、その利益でいろいろな支出をし、その支出が、また次の支出を生んでいきます。彼らが仕入れ先に払ったお金によって、仕入れ先もまた生活をしていけるようになります。
こうして、一万円というものが活動を開始すると、一万円という価値が二倍にも三倍にも五倍にも十倍にもなっていきます。たとえば、一万円が一ヵ月に一人の割合で人々のあいだを巡っていけば、一年間で十二人のあいだを巡ることになります。その結果、一万円は十二万円分の仕事をすることになるのです。
これが経済の世界です。これとまったく同じことが、人間の心の世界でも言えるのです。
愛という名の一万円札を金庫にしまっておけば、それは一万円以上のものになることはありません。
ところが、その愛という名の一万円札を、他の人に差し出して使うと、一つの経済が起きて、人と人とのあいだを一万円が循環しはじめます。やがて、その一万円は一万円以上の仕事をしはじめ、十万円、百万円の値打ちを生むようになるのです。
これを聞いて、「ばかばかしい話だ。お金の総額は増えず、お金が単に移動しているだけなのに、それで豊かになることなんて、あるはずがないではないか」と言う人もいるでしょう。
しかし、私は次のことを言いたいのです。
いまから何万年も前、日本がまだ石器時代だったころにも、日本の国土は現在と同じぐらいの広さでした。その時代に日本に住んでいた人の数は、現在よりは少なかったでしょう。たとえば、百万人しか住んでいなかったとすれば、日本の人口は、いま、一億人を超えているので、一人が所有できる土地は、現在の百倍以上だったことになります。
いま、日本人が一人でそれだけの広さの土地を所有できたならば、大金持ちになった気がするでしょうが、何万年も前の人たちは、大金持ちだったのかというと、そうではありません。百倍の土地を所有していても、彼らは大金持ちではなかったのです。
彼らがしていたことは物々交換です。「物と物を交換する」、たとえば「魚と米を交換する」という程度のことをしていて、経済が進展しませんでした。
その同じ日本が、現在のような繁栄を味わっているのは、すでに述べたような経済学が働いているからです。土地の広さは同じですが、人口は増えました。そのなかで、人々の活動が活発になるにつれて、目に見えぬ富が蓄積され、それが大きな力を生むようになってきたのです。
愛の経済学についても、まったく同じことが言えます。
みなさんは、まだ愛の原始生活をしているのかもしれません。すなわち、各人が,自分の釣ってきた魚を食べ、自分が狩猟をして獲ってきた鹿の肉を食べ、自分が収穫した米を食べているだけの生活をしているようなものなのではないでしょうか。
愛の世界においては、みなさんは、まだまだ原始的な生活を営んでいるのであり、早く、近代化された社会にしなくてはならないのです。
そのためには、みずからの持っている愛をどんどん交換していき、大きなものにしていかなくてはなりません。愛という名の一万円を金庫から出して、それを循環させていくことです。愛そのものを働かせなければならないのです。
これが実は愛の経済学であり、これから、ますます多くの人の心を富ますためには、「与える愛」が大事なのです。
愛が、自分の独り占め、占有から離脱し、人々のあいだを回っていかないかぎり、愛に関する大きな経済が起きてくることはなく、人々は、愛の原始生活を余儀なくされます。「自分が収穫したものだけを、きょうも食べ、あすも食べる」という生活、「自分が確保した愛だけを、みみっちく分け合う」という生活になるのです。
ゆえに、これから、みなさんは、愛の世界において、あるいは、心の世界において、近代的、現代的な社会を築いていかなくてはなりません。大いなる愛の経済学を起こしていかなくてはなりません。
愛の経済学を起こすためには、みずからが持っている、なけなしの愛を、まず投げ出していくことです。それを与えることです。そして、愛そのものが仕事をしていくことを見届けることが大事です。
---owari---
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