このゆびと~まれ!

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「お陰様」と「おもてなし」

2024年07月19日 | 日本
そこから生まれる清き明るい心持ちが幸福への近道であることを、我々のご先祖様たちは知っていた。

(「これを見て貰う以上に、言うべき言葉はない」)
オリンピックやサッカー・ワールドカップと並んで、世界三大スポーツ・イベントとされるラグビー・ワールドカップが始まった(2019年)。国内各地で各国選手を迎える歓迎ぶりが、世界で反響を呼んでいる。

 日本代表との壮行試合に41-7で勝利した南アフリカ代表は、次なるキャンプ地、鹿児島市へ。公開練習に約5000人も観客が詰めかけ、メディア関係者のMatt Pearce氏はその光景をピッチから撮影し、ツイッターでこう発信した。

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鹿児島での公開練習で大変な群衆。熱く、惜しみない歓迎が続く。天気と同じくらい熱い!(拙訳)
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ウェールズ代表がキャンプする北九州の商店街ではチーム旗が飾られ、「ウェールズ代表を応援しよう」と書いた幟(のぼり)が立てられた。小倉城天守閣はチームカラーの赤でライトアップされて、選手からも「ファンタスティック」などの感激コメントが寄せられた。9月16日のミクニワールドスタジアム北九州での初の公開練習では開場以来最多の1万5300人の観客が集まった。

 
さらなるサプライズは、選手がグランドに出てくる際に、観客がウェールズ国歌「Land of My Fathers」(「父祖の土地」)を斉唱して迎えたことだ。続いて応援歌でもある賛美歌「Calon Lan」。チームの公式ツイッターではその光景をビデオで撮って、「これを見てもらう以上に、言うべき言葉はない」と感激を伝えた。

各国代表をその国の国歌で迎えるのは、ラグビー元日本代表主将・廣瀬俊朗氏の発案で、出場20カ国のカナ付き歌詞カードが公開された。廣瀬さんは「きちんとその国の言葉で話ができなくても、その国のアンセム(国歌)を歌えば心が通じる」と語っている。

その言葉通り、元代表キャプテンのライアン・ジョーンズ氏は公開練習後、「これまでのラグビーキャリアでこのような経験をしたことは一度もなかった」とメディアに感動を伝えた。

それにしてもなぜ、日本人はこれほど「おもてなし」に心を籠めるのだろうか? 海外からの賓客を歓迎するのは、どこの国民でもするが、その際の心の籠め方が、日本人の場合はレベルが違うように思う。それが外国人を感激させるのである。

(「おもてなし」と「サービス」の違い)
山村明義氏の近著『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』で、日本のおもてなしと欧米のサービスとの違いをこう述べている。

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欧米のキリスト教社会の「サービス」は、「私」と「あなた」、つまり個人と個人の関係をハッキリさせた上での「行為」です。 一方、「おもてなし」は、「私」が「あなた」に「成りかわる」ことによって相手への好意を表す日本独自の「好意」なのです。
・・・〈「私」と「あなた」は違う〉という視点に立つのが「サービス」で、〈「私」と「あなた」は同じです〉という視点に立つのが「おもてなし」なのです。
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相手国の国歌を斉唱するのは、まさに相手の身に「成り代わって」相手が喜ぶことを行い、相手が喜べば自分もまた喜ぶ、という相手との一体感が、「おもてなし」の基本のようだ。この発想は神道から来ている、と山村氏は指摘する。

(「お客様は神様です」)
「お客様は神様です」とは演歌歌手・三波春夫の口癖だったが、神道においてはこれは比喩(ひゆ)ではない。日本の神様は時々遠方からやってくる「お客様」であった。『神道大事典』はこう解説している。

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奈良時代に神社が成立することによって、神社に神体が安置され、神が常住するという考えが現れてきたが、それ以前は祭儀にあたって山や海の彼方といった他界から神を招き降ろし、祭儀が済めば神を送るのがつねであった。・・・
山や海の彼方の他界から訪れ、穀物の豊穣や幸福をもたらし、また戒めを与えて、人々の生活を安泰にすると信じられている。
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民族学、国文学の大家であり、神道家であった折口信夫は、このような神を「まれびと」と呼んだ。「希(まれ)」にしか来ないからである。菅野覚明・皇學館大学神道学科教授は、次のように解説している。

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神さまは第一義的にはお客さまなのであるから、当然のことながら丁重におもてなしをし、上機嫌でお帰りいただくのが神さまとのつき合い方のイロハである。神さまは客であり、人と神との交流は基本的に接待である。この接待のことを、お祭り(祭祀)と呼ぶ。
お祭りに酒やごちそうがつきものなのも、祭祀が接待であるということと関係している。祭りは接待の宴会である。というより、今日の日本人の接待文化や宴会好きの起源が、そうした神さまのお祭りにあるといってもよいのである。
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(荒魂と和魂)
観客として、遠方からやってきた外国の選手と一体感を持っておもてなしをするのは良いが、自国の選手と試合をする場合はどうなのか。試合には敵味方があり、勝敗がある。これでは相手との一体感を保てないのではないか、と疑問が湧くが、山村氏は名著『神道と日本人』の中で、こう説明する。

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武道や神道では人間の「魂」は、その時々によって、姿かたちをかえる、とされている。人が怒ったとき、あるいは戦うときの魂が「荒魂(あらみたま)」であり、その一方で、普段の柔和な生活を送っているときの魂は、「和魂(にぎみたま)」と呼ばれる。
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相手チームを迎える時は「和魂」で相手と一体となり、心を込めた「おもてなし」をするが、いざ試合になると「荒魂」を振るい起こして、全力を尽くさなければならない。「闘魂」とか「敢闘精神」とか「一球入魂」などというのは、この類いであろう。しかし、神道では、勝負が終わったら「荒魂」から「和魂」に戻さねばならないと教える。

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神道や武道では、「荒魂」を呼び出すことを「振る魂」といい、「和魂」に戻すことを「魂鎮(たましず)め」と呼ぶが、日本の神道では、この双方を合わせて「鎮魂(法)」と呼ばれている。
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山村氏は明治神宮武道場「至誠館」の第三代館長・荒谷卓(あらや・たかし)氏の次の言葉を紹介している。荒谷氏は陸上自衛隊では初めての「日本版の特殊部隊」と呼ばれた「特殊作戦群」の初代群長を務め、鹿島の太刀、合気道六段の武道の達人でもある。

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戦場に慣れてしまうと、普段の生活に戻れず、戦場を転々として歩く。あるいは逆に、荒魂を呼び出せずに、恐怖に怯えて精神病になる人もいる。必要なときには荒魂のはたらきを強くし、不必要なときには和魂で暮らす。本当のプロの軍人とは、そういう"魂の管理"ができる人たちです。 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

ラグビーでも「ノーサイド」と言われる。戦い終えたら、敵味方はなく、同じ仲間だ、という意味である。ラグビーはイギリス発祥の紳士のスポーツだが、イギリスの紳士階級は日本でいえば武士階級である。戦士としての振る舞いの理想を追求した騎士道と武士道が、同様の結論に辿り着いたのも偶然ではないだろう。

荒谷氏は、武道に関してもこう続ける。

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(武道の)試合が終わったあと、荒魂と和魂をちゃんと入れ替えて、それからまた協和状態に戻る。日本の武道では勝者にこそ、この精神が必要です。(スポーツなら許される)ガッツポーズが、日本の武道ではなぜ見苦しいのか、というと、興奮を収められない人は、気鎮め(鎮魂)が出来ない、ということを意味しているからです。
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和魂に戻らなければならないのは、試合の後には相手との和合で終わるのが武道の理想だからだ。山村氏は語る。

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武道を突き詰めて行くと、単に相手を倒す、あるいは負かすことを考えがちですが、本当は自分が相手を包容し、調和と融合の世界にコントロール(制御)して、相手に対して事を収めて終わる──ということに尽きます。
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この「調和と融合の世界」は、まさしく「おもてなし」の目指す所でもある。

(スポーツ選手はなぜ神社に参拝するのか)
スポーツ選手で神社に参拝する人は少なくない。愛知県大府市の「八つ屋神神社」は女子レスリングの吉田沙保里選手がずっと通っており、男女のレスリング選手の「金メダル神社」と呼ばれている。箱根の「九頭龍神社」は「水の神様」を祀っており、水泳の萩野公介選手らが参拝した。男子体操の内村航平選手も自分の住む地域の「草加(そうか)神社」によく参拝していた。

スポーツ選手が神社に参拝するのは「神頼み」なのだろうか? 山村氏はその効用を次のように説明する。

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その人が参拝する神社では、自分のやり遂げたいと願う計画や目標についても、神様の前で誓います。それが上手く行けば、今度は神様に感謝をしながら報告し、ときには「お祭り」を行います。まず自分が生かされていること、あるいは努力できる環境にいることに「感謝」をしながら、神様にまた祈るわけです。
そうすると、今後は頑張って実践して行くうちに、ある程度の「成果」が生まれ、自分がやっていることに対して自信や誇りがついて来ます。・・・
そして自分に自信と誇りができると、また頑張ることができます。それを繰り返していくうちに、自分の目標は達成され、大きな成果を上げることができることになります。
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神社に参拝する時には、「金メダルをとらせて下さい」などと結果を神様に頼むのではない。まず自分で「こういう目標に挑戦します」という「誓い」を立てる。その目標に向けて練習に励み、その結果がある程度出れば、神様に「感謝」する。結果が出なくとも、努力ができる環境に生かされていることに感謝する。

こういう誓いや感謝など、前向きの心持ちでいることで、自分の実力が向上していく。

(神社参拝のPDCA)
興味深いのは、山村氏は神社参拝の効用を、経営学で用いられる「PDCAサイクル」で説明していることだ。これはPlan(計画)-Do(実行)-Check(評価、問題点の把握)-Act(問題点の改善)で、このサイクルで自分の問題点を改善しつつ、次のより高いレベルのサイクルに移行するという経営概念である。これを神社参拝に当てはめて、山村氏は次のように説明する。

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日本人の神社での行いに置き換えてご覧になればわかることだと思いますが、「P」は目標への「祈り」や「誓い」、「D」は自らの「努力」と「実践」、「C」は神様(上司)への「相談」と「報告」、あるいは「決済」、「A」は「改善」と「実行」による最終的な「成果」や「勝利」というわけです。
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山村氏の説明になぞらえると、神社参拝のPDCAとは次のように言い換えることができるだろう。

Pray: 祈り Do: 実践 Consul: 相談 Appreciate: 感謝

これは単なる語呂合わせではなく、「人間の意欲的な目標設定と、事実に基づく合理的な反省こそが、進歩を生む」という人間心理の働きを現代経営学は活用しているのだが、それを日本人は大昔から神社参拝で実行してきた、という事なのである。

(「お陰様」)
我々が普通、神社に参拝する時は、家内安全、無病息災、受験合格、商売繁盛など、自分の生活での「現世利益」を神様にお願いすることがほとんどだろう。それはそれで良いし、現実に神社でも「交通安全」など各種のお守りが売られている。それは我々が自分自身の力を超えた神様がいることを信じ、神への畏敬の念を抱いているからだ。

一方、神主が祝詞(のりと)は神様に感謝することが基本だと、國學院大學神道学専攻科で祝詞(のりと)の講師を務めている金子善光宮司(神奈川県川崎市の中野島稲荷神社など七社)は教えている。

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昔の祝詞を見ると、あまり願い事をいっていません。なぜいっていないかというと、やはり昔の日本人には"お陰様″という気持ちの方が強かったからだと思います。それは、昔は共同体全体が、"お陰様″という意識で神様に向かっていたからだと思うのです。
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日本人にとって神様は「お陰様」と感謝する対象であり、また「まれびと」としてやってきた神様には、心を込めて「おもてなし」をする。そういう時の人間の心は利己心から離れて、清く明るい心持ちになる。そういう生き方を我々の先祖は大切にしてきたのである。ご先祖様たちは、それが幸福への近道である事を知っていたのだ。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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