(「悪平等」が広がると、勤勉に努力した人たちが損をする)
また、アメリカでは「大学に入るときに、一定の率の『黒人枠』を設けなければいけない」など、いろいろな苦労はあるようです。
しかし、それが行きすぎると、今度は、ある種の左翼思想になり、国全体が沈んでいくようなこともないわけではありません。
オバマ大統領の時代、新聞等の報道によれば、アメリカの議会が紛糾しました。下院は共和党が多数のため、オバマケア(医療保険制度改革)をめぐる対立のせいで予算案がどうしても通過せず、「八十万人もの公務員が自宅待機になる」という、日本ではめったに見られない状況が起きました(後日、上院と下院で暫定(ざんてい)予算案が可決された)。
要するに、日本においては、ずっと以前に実現した国民皆(かい)保険(ほけん)を、ずいぶん遅れてアメリカが目指そうとし始めたところ、なかなか通らない状況にあるのです。
アメリカでは、もともと、日本よりも貧富の差が激しいところがありましたし、成功者に対する評価等に関しても、「怠(なま)け者に対する厳しい目」というのが、はっきりしていました。
やはり、現実問題として、「貧しい」ということが、全部が全部、「いかなる努力をしても、豊かになることはできない」ということではないのも事実でしょう。
例えば、勉強が嫌いで途中から学校に行かなくなったり、犯罪行為に手を染めたり、麻薬などに手を染めたり、あるいは、異性にのめり込んで勉強しなくなったり等、そういう個人的理由によって、実際上、よい職に就(つ)けていない場合もあります。また、環境要因によって、そのようになっていく場合もあるわけです。
そういう意味で、その見立てはとても難しく、一律に同じように扱おうとすると、資本主義的に勤勉に努力した人たちが損をする部分が多くなりすぎるのではないでしょうか。
アメリカの建国の理念の一つは、「人間平等」ということですが、別の面から見ると、そこには人間平等ではないところがあります。つまり、「ある意味での『悪平等』が実現しようとしているのではないか」と思うのです。
オバマ氏のように、黒人に生まれて、いろいろと不遇(ふぐう)な環境のなかをくぐって出世してのきた方にとっては、「多くの仲間を救う」ということは当然の考え方であったとしても、やはり、それを受け入れない人たちはいます。
そして、その人たちの考えのなかには、間違った面もあるでしょうが、一定の真理が含まれている場合もあるわけです。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます