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信玄は民のために合戦し、人材を登用する

2024年02月09日 | 歴史
今回のシリーズは、武田信玄(第2弾)です。
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(晴信様はおもしろいお館だ)
こんな大将に会ったのは初めてだ。しかし晴信(信玄)の言うことは正しい。普通大将は、軍師(参謀)を置いておいて、合戦をはじめる前に必ず軍師の意見を聞く。したがって、主として合戦の作戦を立てるのは軍師だ。大将はそれに対し、承認したり否定したりする。大概は、
「よし、その作戦で行こう」
と決定する。

どんなに軍師を頼りにしていても決定権は大将一人の固有の権限だからだ。ところが晴信の場合は違った。
「作戦もおれが立てる。だから軍師は置かない。しかし、山本勘助よ、おまえはおれが作戦を披露したときには必ず賛意を示せ」
ということである。

つまり山本勘助は武田晴信の引き立て役をつとめろということだ。勘助は心の中で笑いながら、一人おもしろがった。そして、
(言われたとおりにしよう)
と思った。

が、かれもしたたか者だ。聞いた。
「お館のご意向に従いますが、一つ二つ伺ってもよろしうございますか」
「ああ、何でも聞け」
晴信は受けて立つ構えを見せた。気負いはない。しかしその構えの底には、
(おまえには絶対に負けぬぞ)
というような若武者らしい衒気(げんき)も見えた。

勘助は聞いた。
「そもそもお館は合戦をどのようにお考えでございますか」
「三つの考えを持っている」
晴信は即座に答えた。

「一つは、敵の状況を詳しく知り、これを分析する。そして、大事なことはすべて部下に知らせておく。二つ目は、合戦の勝敗は六分か七分を持って勝利とする。決して、九分、十分の勝ちを狙ってはならない。これは逆に大敗の原因になる。三つ目は、武士として四十歳前は勝つように心掛け、四十歳から先は負けぬように心掛けることが大切だと思っている」
立て板に水を流すようにそう言った。

勘助は聞いていて、
(練りに練ったお考えだ)
と感じた。思いつきでこんなことを言っているわけではない。しかしまだ二十歳をちょっと過ぎたばかりの晴信がこんなことを言うのには、いままでどれだけ膨大な量の軍略書を読み、それについて考えてきたか計り知れなかった。

勘助は晴信の偉大さに驚いた。特に、
●作戦展開で重要なことはすべて部下に知らせておく
●勝ちは六分、七分をもってよしとし、九分、十分の勝ちは求めない
という考えは、実に老成したものであって、若年者の考えではない。それだけでもこの武田晴信という大将が、いかに傑出したものであるかを物語っていた。

最初に聞いた大将の功名について、晴信は、
「人の目利(めきき)すなわち人材登用と、国の仕置すなわち民への治政が大切だ」
と述べた。これは突っ込んでいえば、
「民の暮らしを豊かにするために、おれは合戦を行うのだ。そのために有能な人材を登用するのだ」
ということになる。

つまり合戦の目的は、
「民のため」
であり、その合戦も、
「有能な人間によって行う」
という道筋をきちんと立てている。小気味よかった。勘助の頭の中はすがすがしくなった。駿府時代にうごめいていた厚い雲が完全に裂け、上方から輝く陽光が射し込んだ気がした。こんな晴れ晴れした気分はいままで味わったことがない。

勘助は、
「このすがすがしさは、すべて晴信様の発する気(オーラ)に根ざしている」
と感じた。勘助は聞いた。
「お館の合戦・治国の要諦はいずこにございますか」
晴信はにやりと笑った。こう答えた。
「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、侵掠(しんりゃく)すること火の如く 動かざること山の如し」

「孫子でございますな」
勘助はそう言った。晴信は領いた。そして、
「風林火山。おれが合戦のときに掲げる旗だ。そしてこれがおまえの言う合戦と治国の要諦だ」
そう言った。

「風林火山」
勘助は呟いた。そして、
(まさに、このお館の気質をそのまま表している言葉だ)
と思った。

その勘助に晴信がさらに言葉を投げつけた。
「山本、おれは人を用いぬぞ。人のわざを用いる」
勘助は領いた。晴信が言うのは、
「おれにとって、人がいいとか立派だとかいうことは関係ない。能力だけが大事なのだという合理的な割り切った考えなのである。

この朝、勘助は晴信から徹底的に、
「武田晴信のすべて」
を叩き込まれた。

(信玄が見誤った性格)
甲府に戻ってからも、勘助は毎日のように晴信に呼ばれた。軍談や兵法の話だけではない。晴信は「人間論」も語った。
山本勘助が武田晴信という若い大名に、底の知れない恐ろしさを感じたのは、ある日、晴信が勘助に語った次のような人間観であった。
「わしはいままでしばしば人を見聞違えた。それが人材登用の面で大きな過ちを犯す結果を生んだ。いま気をつけている」

そう言って、いろいろな種類の人間のタイプを並べた。つまり、晴信自身が、
「見誤った性格」
である。
 ●隙だらけの人間を落ち着いた人間と見誤ったこと
 ●軽率な人間をすばしっこい人間と見誤ったこと
 ●優柔不断でグズな人間を沈着な人間だと見誤ったこと
 ●早合点するそそっかしい人間を敏捷な人間と見誤ったこと
 ●頭の働きがゆっくりしている人間を慎重な人間と見誤ったこと
 ●脈絡もなくべらべらしゃべる人間をさばけた人間と見誤ったこと
 ●ガンコな人間を剛強武勇(ごうきょうぶゆう)の人間だと見誤ったこと

「わしもまだ若年だ。至らぬ人間だからしばしば人を見誤る。大将としては恥ずかしいことだ。いまは気をつけている。おぬしも以前見たように、軍談を聞く子供でさえあのように反応が幾種類にも分かれる。人間とは複雑なものだ、な?」

最後は共感を求めるように言った。勘助は領いた。

(『武田信玄 下』作家・津本陽より抜粋)

---owari---
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