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“名誉白人”の処遇を受けている日本人の無自覚(後編)

2019年12月04日 | 日本
今日も日下公人・高山正之(対談)著書「日本はどれほどいい国か」より転載します。
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高山:いまの日本人は“名誉白人”のような処遇を受けていることになんの不思議も感じていないけれど、その無自覚が問題ですね。

やはり自分の人種が何であるかを知ることです。黄色い肌の日本人を、白人や黒人や他のアジアの人たちがどう見ているか。歴史的な事実を踏まえながらも、自らのアイデンティティを、ある種リフレクト(屈折)させて、異なった角度から見てみる。これまで日下さんと、主にインドやビルマとの関わりを通じて日本を見てきたわけですが、そういう歴史的な材料はほかにもたくさんあります。

たとえばツンベリーというスウェーデンの植物学者が鎖国時代の安寧4(1775)年、長崎オランダ商館の医師として来日していますが、彼は日本人の気高さに驚嘆している。

ツンベリーはオランダ商館医だからオランダ人と同じ格好をしているのですが、どうも日本人から受ける視線が冷たい。なぜかと思ったら、オランダ人が奴隷貿易をしていることを日本人は知っていて、それを蔑(さげす)んでいるからだということに気づく。

ヨーロッパやアフリカにいたら白人が有色人種から蔑視を受けるなどということはあり得ないから、ツンベリーは随分戸惑った。

彼は来日した翌年、商館長の江戸参府に同行して、杉田玄白や中川淳庵(じゅんあん)、桂川甫周(ほしゅう)らと親交を持つことになり、彼らに影響を及ぼすとともに自分も日本から大きな影響を受けて安永8(1779)年に長崎を去り、その後ウプサラ大学でリンネのあとを継ぐ。

日本関係の著書として『日本植物誌』や日本紀行を含む『ヨーロッパ・アフリカ・アジア紀行』が知られていますが、日本人に対する観察眼がとてもユニークなんです。

たとえば、街中を歩く日本人は、われわれヨーロッパ人が“羊の群れ”のようにぐじゃぐじゃ歩くのに比べて、きちんと片隅に寄って歩いているとか、道端にはきれいに花が生けられていて、その美しさはたまらないといった記述があります。自分たちのことを“羊の群れ”というのが非常に面白いなと思って読んだ記憶があります。

ちなみに彼が日本から持って帰ったのは「山茶花(さざんか)」です。植物事典を見ると学名も山茶花(Sasanqua)で、最後は「qua」となっている。

平成19年5月、天皇皇后両殿下が訪欧される前の会見で、訪問国スウェーデンが入っていることに関連してツンベリーに触れられました。天皇陛下は、「ツンベリーの日本滞在記を読むと、異なった文化の中で育った人々を理解しようとするツンベリーの温かい人柄が感じられます」とおっしゃって、ツンベリーを知らない宮内庁の記者たちはさぞやポカンとしただろうけれど、天皇陛下も感じられたような、こういう細かな観察眼の持ち主が、好意的にせよ、あるいは悪意を含むにせよ、日本人と日本という国をどう見てきたか、そうした歴史事実を知っておくことは、決して他国の顔色をうかがうということではなしに、心の内に自画像を描くうえでも必要なことだと思います。

日本人が江戸の昔から、白人による奴隷制を憎み蔑(さげす)んでいたことを知れば、その後、西欧近代の圧倒的な力を見せつけられた幕末・明治期の日本人の苦悩も少しはわかろうかというものです。

---owari---
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