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毛利モンロー主義の誤り ⑧

2022年06月30日 | 歴史
今回のシリーズは、毛利元就についてお伝えします。
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(毛利モンロー主義の誤り)
毛利元就がつくった「*カラカサ連合を主軸にした中国地方経営」は、現在でいえば「地方分権の実現」である。

*カラカサ連合:元就がつくった自治経営システム。カラカサ連判状というものを用い、これを地侍や豪族たちに誓いの言葉を囲んで楕円形に署名をさせ、「私はカラカサ連合に参加します」という意思表示をさせたもの。署名連判状が傘を開いたように見えるのでこの名がある。
カラカサ状に名前を書くのだから、だれがいちばんエラくてだれがいちばんエラくないという区別はしない。みんな平等である。この連合が扱う問題は、火災の消火・水利権の問題・入会権の問題・土地所有者の境を越えるような大規模な開発の問題・これらの問題を処理するための負担金の問題、提供する労力の問題など。これを、集まって協議し、合意を得て実行するというものである。

元就が安芸国(あきのくに)の吉田・郡山城を拠点としてその周辺だけで連合していたものが、大内氏を滅ばしやがて尼子氏を滅ぼした後、彼のいまでいう事業範囲は、広島県、山口県、島根県、鳥取県、岡山県、さらに兵庫県の一部にまで及んでいく。

そうなると、安芸国から発生したカラカサ連合も「広域連合体」にまでなったということだ。
そして還暦の年に元就は有名な"三本の矢の教訓"を行なう。この教訓は、
「弓の矢は一本だとすぐ折れる。三本そろえばなかなか折れない。三本の矢と同じように長男の隆元、次男の元春、三男の隆景が心を合わせて毛利家を守り抜け」
というものだ。これは、
「家族の結束によって毛利企業を守り抜け」
という意味である。

しかし元就が三人の息子に行なった訓戒(くんかい)は、それだけではない。もっと重要な発言があった。彼は三本の矢の教訓にくわえて、つぎのようなことを言っている。
「毛利家は絶対に天下のことに関心を持ってはならない。ましてや、その争いに巻き込まれてはならない」

これは、
「中国地方に広域自治連合をつくったので、それを守り抜け。中央集権とは関わりを持ってはならない」
ということである。元就が「天下」といったのは、天下人として織田信長を頭のなかに描いていた。しかし信長にたいする元就の考え方は、
「あいつは野望家で、日本の国と国民を自分の思いのままにしようとしている。せめて中国地方だけでも、あいつの言いなりにならない国と住民を育て、守り抜きたい」
ということだ。言ってみれば、
「地方分権を確立して、中央集権とは無縁でいたい」
ということである。

現在の日本の状況は、
・国は仕事をセーブし、つまり最小限(ミニマム)の仕事を行なうチープガバメソト(小さな政府)になる。
・国と地方自治体とは同格である。
・地方自治体は、最大限(マキシマム)の仕事を行なう。
・そのための財源調整を行なう。
という方向で進んでいる。

これは、いわば国のほうが「ナショナルミニマム」に徹し、地方は「ローカルマキシマム」に徹していこうという流れだ。

元就は、言ってみれば中国地方に、「中国道あるいは中国州」を確立した。広域自治体連合である。そしてこれを守り抜こうと考えた。しかし、戦国時代ではこれは不可能だ。
というのは、「ナショナルミニマム」が実現していないからである。織田信長はそれを実現しようとして必死に努力していた。元就の見方は間違っている。

つまり、いまでいえば地方自治行政と日本国政とは役割分担が違うのだ。このへんの識別は厳密に行わなければならない。その証拠に、結果的には天下をめざす信長や秀吉によって、毛利**モンロー主義もほろびてしまう。せっかく"カラカサ連合"をつくった元就にも、そこまでの考え方が欠けていたということだ。惜(お)しい。

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**モンロー主義:互いに干渉しないことを主張する、外交の原理。自国のことは自国でする他の干渉はいらぬといふ主義。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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