このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

毛利元就の三本の矢、本家を補佐するように頼んだ ⑦

2022年06月29日 | 歴史
今回のシリーズは、毛利元就についてお伝えします。
――――――――――――――――――――――――

ふつう伝えられてきた「三本の矢」の話は、死に面した元就が、三人の息子を呼んで教訓を与えたことになっている。最初、元就は一本の矢を折った。そして、「矢も一本だとすぐ折れる」といって、次に三本まとめて折ろうとした。ところが折れない。元就は「矢が三本集まれば、容易には折れない。おまえたちも兄弟三人が心を合わせてこの矢のように協力してほしい」と伝えたという。

だが、長男の隆元は急死していてこの席にはいない。同時に次男の元春も当時合戦中で、父の死には遭えなかったという。そうなると、元就の死をみとったのは、三男の隆景だけだ。それではこの話自体が成立しないのだが、真相は次のようなことだという。

長男の隆元に死なれた元就は、すぐその跡を隆元の子、すなわち自分の孫に当たる輝元に継がせた。しかし、輝元はまだ子どもなのでおぼつかない。元就は、輝元の後見人になったが、それだけでは安心できない。それは、元就自身が老齢なので、いつ死が訪れるか分からないからである。

そこで、ある日、元就は輝元の前に吉川元春(次男)と小早川隆景(三男)を集めた。そして三本の矢になぞらえて、元春と隆景に、甥の輝元を補佐するように頼んだ。これが、三本の矢の実話だという。

おそらくそうであったに違いない。しかし元就が、二人の子どもをよび集めるついては、もっと深刻な理由があった。それは、本家を越えて、吉川家と小早川家が隆盛を極めはじめていたからである。

とくに、小早川家の伸長がすさまじかった、小早川隆景は、子どものころ父の元就が見抜いたように、頭が鋭く謀略の使い手でもあった。このため元就は、隆景に毛利家の渉外担当を命じていた。隆景はその方面でも活発な才気を見せた。

水軍は常に打って出る。このため隆景の行動も、次第に増幅され加速度を加えた。また、彼自身も仕事がおもしろくてしかたがない。彼の勢力分野はどんどん広がっていった。これを見ても元就は心配していたに違いない。いまでいえば、本社を凌(しの)いで支社がどんどん勢力を伸ばしていったことになるからだ。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 母親代わりに自分を育ててく... | トップ | 毛利モンロー主義の誤り ⑧ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事