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お互いの神を「悪魔」だと思うキリスト教徒とイスラム教徒を和解させる方法

2018年06月18日 | 政治・経済

ドイツのメルケル首相は、イスラム・テロなどについては厳しくしていき、危険分子等は移民としては認めない方向で引き締めを図るようなことを言っているようです。

 

このように、イスラムに関しては、「テロ」や「内戦」、「ヨーロッパへの移民」など、「人道上の救済の問題」と、それに伴って「キリスト教国の文明秩序が崩壊していく問題」については、「何を優先するか」という点で非常に難しいものがあるでしょう。

 

実際、イスラム圏が内乱になって総崩れになってきたときに、これを全部吸収しながら、宗教的に違いを認めつつ平和共存していくには、なかなか難しいはずです。「一方的に、キリスト教系のほうが、イスラム教のほうを養う」というかたちには、そう簡単にはならないでしょうから、そこで新たなレイシズム(人種差別)が起きないように、心から願いたいと思います。

 

やはり、宗教に基づくいろいろなものも、数百年、あるいは千年とたってきたら、適度なイノベーションは必要だと思うのです。そのなかから、有害なものは抑えつつ、また今後も生き延びるべきものは何だろうかと、よく考えていくことが大事なのではないでしょうか。

 

結局、お互いに理解し合えていない部分の根底には、単なる「法治主義対イスラム法主義」という問題だけでなく、「本当は、お互いの神様を悪魔だと思っているのではないか」という問題があるのです。

 

インドでは、最高神としてヴィシュヌ神がいて、さらに、さまざまな神々もいます。その意味では、日本の宗教ともよく似たスタイルではあるのです。

 

また、ヴィシュヌ神には“顔”(化身)が十人ぐらいあって、そのうちの一つがゴーダマ・ブッダということになっているのですが、私は、「考え方としては、それはありえる」と思っています。

 

やはり、実際には、高級神霊、大天使、天使、あるいは、神を名乗る者はたくさんいるので、それにもかかわらず、「一つだけが正しく、あとは全部、間違っている」というのは、救済の手段の多様化を否定するのと同じことになるでしょう。

 

そのあたりについては、もう一段の宗教的理解が進んでいくことを願っています。

 

---owari---

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