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「自分で自分を許す」ことは、ずるいことではない

2016年11月19日 | 人体

中年期から晩年期に入ってくるにつれて、人生の速度を落とさなくてはいけない時期がやってきます。そのときに、いつまでも百点を求めて生きてはいけません。九十点、八十点、七十点の自分を受け入れること、七十点ぐらいの自己像を容認することも大事です。いつまでも百点を求めても無理なのです。

 

「七十点でもいいかな」と考え、自分自身に対する許しのハードルを下げなくてはなりません。

 

理想家で、あまりにも完璧を求めすぎると、自己処罰の観念が非常に強くなって病気になります。ガンになる人や自殺する人には、こういうタイプがわりに多いのです。非常に完全主義的な人です。ずぼらな人は、あまり自殺しません。もともと、いいかげんなので、あまり自分を責めないのです。

 

しかし、自分を強く責めるタイプの人は、度が過ぎると、ガンになったり自殺したりすることもあるわけです。

 

そういう人は、「自分自身だって、完全に自分の自由になるものではないのだ。この命は頂いたものなのだ。この肉体は、両親や祖父母、その前の先祖たちから頂いたものであるし、魂もまた頂いたものなのだ」と考えることです。自分を、自分だけのものと思わず、「預かりものなのだ」と思って、大事にしなくてはいけません。

 

なかには、「悪いことをした自分を自分で許すことは、ずるいことなのではないか」と思う人もいるかもしれませんが、それは一つの人間心なのです。

 

大宇宙の叡智である根本仏、根本神は、これだけ多くの生き物を生かしています。たとえば、世界には七十億人以上の人間が生きています。その全員が完璧に生きているでしょうか。完全に生きているでしょうか。百パーセント道徳的な人間ばかりでしょうか。そうではないでしょう。犯罪を犯したり失敗したりしながら、みな生きています。そして、「よしよし」と思って、人間を育み、そのあり方を我慢している存在があるのです。

 

「自分の気持ちだけで、すべてを規定してしまうのは、尊大なことなのだ」ということを知らなければいけません。

そういう意味で、自分に対する許しが必要なのです。

 

「『七十点でもいいかな』と考え、自分自身に対する許しのハードルを下げてみる」(仏法真理)

 

---owari---

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