谷村新司さんが30年以上も前に作詞・作曲した「昴(すばる)」は、聴く人の心や魂にまで深く響き渡る、今もなお、世代や国境を超えて世界中で愛されている名曲です。
もう2年前の話になりますが、その谷村さんが出版した著書『谷村新司の不思議すぎる話』(マガジンハウス)で、驚くべきエピソードが披露されていました。
なんと谷村さんは、「昴」はプレアデス星団からのメッセージをキャッチして書いた曲だというのです。
プレアデス星団というのは、和名で「すばる」、中国では「昴(ぼう)」と呼ばれる「おうし座」の散開星団(*1)のことです。この星団と谷村さんが対話できるようになったと書いています。
(*1)分子雲から同時に生まれた星同士がいまだに互いに近い位置にある状態の天体を指す。
「昴」はメロディと歌詞が同時に、そして極めて鮮明に谷村さんに届いたということでした。長いミュージシャン生活で、あとにも先にも「昴」ほど鮮明なイメージが一挙に降りてきた経験はなかったと谷村さんは語っています。
「昴」の歌詞で、まず初めに頭にポンと降りてきたのは、いちばん最後のフレーズである「さらば昴よ」だったそうです。
その時は、「ん?『さらば昴よ』って何?」と歌詞の意味もわからないまま、手が自然に動いて歌詞を書き留めていたのでした。
以前に私のブログでお伝えしましたが、中島みゆきさんが『第6回世界歌謡祭』にてグランプリを受賞した「時代」も同じように曲のイメージが降り注いできて、書き上げた歌だと言っておられました。だから、歌うごとにこの詞は何を意味しているのかと考えていたとおっしゃっていました。
「昴」も同じことで、谷村さんも初めは歌詞の意味がわからず、考え込んだということでした。
そして、20数年たって57歳の時に「昴」との不思議な出会いがあったそうです。
真夜中に「昴」について考えてみたいと思い、「プレアデス星団」というキーワードでネット検索すると、「プレアデスからのメッセージ」というサイトを見つけました。
その膨大なテキストを読み進めた最後の所で、「我々からのメッセージは、すべてこの歌詞に込められています」となっており、そこに私が書いた「昴」の歌詞が掲載されていたそうです。
この時に思わず鳥肌が立ったそうです。
そして、夜更けだったのでブックマークを付けて翌日に見ようと床につき、翌朝に検索しましたが、そのサイトは削除されていたそうです。
「この奇妙な出会いは『昴』についてもっと勉強しなさい」という暗示だと思い、私は改めて『昴』と向き合うことにしました」と書かれています。
そしてその2年後、中国での各地の公演の途上のあるホテルで・・・・・「突然頭の中で声が聞こえてきました。日本語で『これからダイレクトですよ』と言われたのです」
「プレアデス星団からの問いかけは、性別や国籍を超えたフラットなトーンでした。私の頭の中で鳴り響くだけで、もし隣に座っていたとしても、私以外の人には聞き取れません。問いかけに対する私の返答も、言葉に出すことなく、頭の中で行っています」ということでした。
「それから彼らは私の問いに何でも答えてくれるようになりました」と語っています。
「さらば昴よ」というフレーズに込められた意味とは何でしょうか?
「昴」というのは「二十八宿」で「財の星」と呼ばれており、天球を二十八の”宿”に区分けして、月や太陽の位置や運行を示した古代中国の星図です。これは宿曜占星術などで利用されています。
どうやら「財の星」と呼ばれる「昴」は「物質文明の象徴」を意味しているようであり、それに別れを告げる歌詞は、今の目に見えるモノ、お金が中心の世界から目に見えないモノを大切にする「精神文明」への移行時期が来たことを知らせていると、谷村さんは理解したようです。
今後は目に見えないモノを見て、お金やモノといった物質に囚われることなく、精神的な豊かさを追い求める新しい時代を作っていこう!
それが「さらば昴よ」というフレーズに込められた本当の意味ではないのかと、谷村さんは気づかされたと言われています。
そして、「蒼白き頬のままで」という歌詞についても、今までは謎に包まれていたましたが、これについても谷村さんは深い考察をされています。
それはインドに行って意味がわかったということでした。インドでは顔を青白く塗った人たちが大勢いた。それはシヴァ神への信仰を表すもので、シヴァとは「破壊の神」です。シヴァ神は破壊のための破壊を行う乱暴な神ではありません。
創造のための破壊、つまり、目に見えないモノを大切にするという新しい価値観に基づいた世界を作り上げるために、古い価値観(物質文明)に基づいた世界を一度破壊するということを意味していると悟ったのでした。
1番の歌詞の中頃には、次のようなフレーズが出てきます。
「ああ 砕け散る宿命の星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ」
それに呼応するように、2番には次のような歌詞があります。
「ああ さんざめく名も無き星たちよ せめて鮮やかに その身を終われよ」
このフレーズでいう「星」はひとのこと。「砕け散る」というのは、新しい価値観を創造するための破壊を指しています。そして「せめて鮮やかに その身を終われよ」と告げているのです。
以上が、名曲「昴」の歌詞に対する、谷村さんのご見解でした。
私も物質文明から精神文明の切り替わりの時点に世界は差し掛かっていると感じています。何万年に一回の歴史が来るのではないかと推察しています。心正しく、心清く日々を暮らされている方には何も案ずることはありません。もう一度、「ノアの箱舟」のような時代が訪れることも予想されます。しかし、恐れる必要はありません。私たちの思いや行動で未来は変えられるのです。
少し話が横にそれました。
「昴」に対し、私は谷村さんのご見解ともう一つ歌詞に意味合いが含まれていると思っています。
それは、この曲は本当に、「昴」という星から去らねばならなかったプレアデス星人の郷愁や哀愁を歌っているのではないかと思っています。そして、この曲は哀しみと未来をめざす勇気も感じることができるのです。
住んでいたこの星を去らなければならない寂しさや哀しみは伝わってきますが、それでも、私たちは宇宙の荒野をめざして旅だったのだという事実を、私たち地球人に教えているのではないのでしょうか。
もし、私たちが同じようにこの美しい地球を去らねばならない情景を思い浮かべてください。
「昴」の感情がよくわかると思います。プレアデス星人はこの美しき星(地球)をそのような運命にさせてはならないと訴えているようにも思います。それは、世界が全面核戦争になれば、地球に人類が住めなくなることを知っているようにも思えます。
歌詞の最期のフレーズで「我は行く 蒼白き頬のままで」とありますが、これは「昴(プレアデス星団)」の周囲に広がるガスが青白く輝いているのを受けて、「昴」から旅だったときのプレアデス星人の顔がそのように輝いていたことと、これからの長い宇宙航行を心細く感じている心境を表現したものではなかったのでしょうか。
この話は本当にあった話なので、「昴」が私たちの心に響くのではないのでしょうか。
そして、この名曲が地球に伝わったということは、プレアデス星人が地球に来ていることの証明ではないのでしょうか。
世界中で歌われている名曲「昴」を、この日本に伝えて頂いたことに対し、プレアデス星人に感謝いたします。
---owari---
2019/10/5付けで「谷村新司の昴の歌詞の意味」の記事投稿
しています。つたない記事ですが、もし、ご参考にしていただければ幸いです。
コメントをいただき、有難うございます。
あなたのブログを拝見させていただきました。
「谷村新司の昴の歌詞の意味」の記事を興味深く読ませていただきました。
昴の歌詞は啄木の「悲しき玩具」に由来するとおっしゃることがよく理解できました。
「呼吸(いき)」「胸の中」「凩(こがらし)」の三つのフレーズがぴったりと一致していますね。
また、
(啄木):眼め閉とづれど、心にうかぶ何もなし。さびしくも、また、眼をあけるかな
(昴):目を閉じて 何も見えず 哀しくて 目を開ければ
これも、大変良く似ています。
谷村さん自身、大学時代に啄木を耽読されたそうなので、昴の歌詞はその影響を受けていると感じました。
一つ気になったのは、啄木自身が文芸雑誌「スバル」の創刊号発行人を務めたと書かれていたので、実は、啄木自身も「プレアデス星人」ではなかったのかと、私は感じたのです。
貴重で、楽しい情報をお聞かせいただき、有難うございました。