(「富の総量」を増やすために学ぶべき「成功する方程式」とは)
マルクス主義的なものも、弱者を救う面ではよいところもありますが、現代ではマルクス主義の基本的な考え方が廃(すた)れてきているので、使えません。
ただ、今、「マルクス主義」が「累進(るいしん)課税」というかたちでの社会主義に変化してきて、先進国まで含めて洗脳されているのです。
それによって、「お金があるところから取り、ないところにばら撒(ま)く」ということだけをやっているのですが、普通、「お金のあるところと、お金のないところができる」ということには理由があります。会社の経営に失敗するところと成功するところがあるのには、理由があるわけです。それは、確かに、成功すべくして成功し、失敗すべくして失敗しているのです。
お金が儲(もう)かっているところから取って、ないところに撒くというのは、最初は正義になるかもしれません。しかし、長い期間、ただ単に、機械的にそれを繰り返していったら、正直者はだんだん働かなくなり、働かない者がたくさん補助金をもらうような社会になっていきます。その結果、国自体が停滞していくのです。
したがって、「累進課税的な考え方」については、基本的にあまり賛成ではありません。これは、一種の社会主義であり、国家が累進課税を強化していくことは、社会主義の強化だと考えています。
今、「社会保障と税の一体化」ということが非常によいことのように聞こえます。「社会福祉と一体化して、老後の面倒(めんどう)をすべて見てくれるなら、幾らでも金持ちから金を取ってもよい」というような考えに聞こえますが、そうなると幾らでも取れるので、限度がありません。
日本にはビル・ゲイツのような富豪も出ない状態でありながら、そこまで取り続けるのは、残念ながら無理です。そういうことをすれば、だんだん、誰もが同じような収入になっていくでしょうし、そこからお金を取ったら、もはや食べていけなくなります。
それよりは、やはり、自分たちが二倍三倍、五倍十倍と、もう一段収入を上げていけるように、「成功する方程式」を出して、学ばせることが大事だと思います。
以前、安倍前首相が年頭の所感でも、最初にそうした「自助努力社会」のことに触れていましたけれども、やはり、「富の総量」を増やす努力は必要だと思います。EUのように、貧しいところの集まりだけでは、よくなりません。どこかに稼(かせ)いでもらわないといけないので、そのあたりの努力は要るということです。
「その動機が善であり、結果として人類を前進させるものであれば、お金は悪いものではありません」ということを、はっきり申し上げたらよいと思います。
(神々の住まう国・日本)
自分たちの国を正確に見つめ直し、さらに素晴らしい国にしていくべく努力するのが国民たるものの務(つと)めである。
たまさかの戦争の勝敗だけで神の正義は決まらない。1945年以降の国際正義は、その時の戦勝国が決めて、その後変更を許さない形になっている。しかし日本が敗れたせいで、戦後、世界の半分は共産主義が蔓延(まんえん)し、数千万から億の単位の民衆が大量粛清(しゅくせい)された。戦勝国アメリカは二発の原爆投下を反省することもなく、今、その覇権(はけん)を新たな「侵略の帝国」におびやかされつつある。
縮(ちぢ)み思考の日本は、再びリバウンドせねばならない。この国の素晴らしさを再発見し、誇りと自信を取り戻すことが大事である。
神々の住まう国・日本を忘れてはならない。――この章は終りです。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます