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知将・石田三成が情で失敗した城攻め

2023年10月04日 | 歴史
⑦今回のシリーズは、石田三成についてお伝えします。
三成は巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる知的な武将です。
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奇妙なことが起きた原因は、この水攻め工事に、三成が付近から農民を大量に動員したことである。しかも、タダ働きをさせるのではなく、高い日当と米を惜しげもなく与えた。いままでの徴発(ちょうはつ:兵士や農民などを強制的に呼び出すこと)とはちがうので、農民はよろこんで参加した.

これをきいて、城の中からたくさんの兵が農民に化けて加わった。そしてその米はそのまま城中の食糧にし、金は米にかえて、これも城に持ちこんだ。三成の部下がこれに気がついた。
「城内の敵兵が工事に加わっていますよ」と三成に報告した。三成は笑った。
「自分の城を攻める工事を手伝う、というのはおもしろいではないか?」
「いや。こちらで渡す米や金が、敵の籠城を長引かせることになります。殺しましょう」

「そんなことをしたら、ほかの農民がこわがってこなくなる。ほっておけ。工事が完成すれば、城兵はどうせ魚のエジキだ」
勝者の寛容のようなことをいった。それでなくても知将の三成は、普段から、「あの人は冷たい」といわれていたから、ここは一番、「いや、意外と温かいぞ」といわれたかったのだ。

温情を和けるのはいいが、前線では逆に士気を弱める。緊張感がゆるむ。
“温かく、温かく”をモットーに、敵が人夫になって金と米をかせぐのも黙認するくらいだから、全般的にゆるんだ空気が支配した。それは、土手の各個所の監督、点検にもあらわれた。

特に、敵の人夫のいるところは、故にさとられまい、というような気くばりをするから、つい大目に見る。
「ごくろう、ごくろう」で通りすぎてしまう。これが三成の最大の失敗になった。敵の兵は城へ戻ると、石田軍の寛容さを、「まぬけめ!」と大笑いしていたのである.

工事は完成した。石田軍は包囲の態勢に入った。雨が降りはじめた。城をかこんだ堤の中の水かさが増しはじめた。この分だと、敵がいくら工事で米をかせいだとしても、やがては食糧がつきるだろう、と思われた。補給の通が絶たれるからだ。

が、ある夜、豪雨がきた。すごい雨で、堤の中の水は異常に盛りあがった。
「これでは、すぐ落城する」
水びたしになった城からは、おそらく降参の使者がくるにちがいない、という予測を、石田軍の誰もが持った。三成自身も、「作戦は成功した。おれも知将から武将になれる」とほくそ笑んだ。

どころが、突然、堤が決壊した。中の水が一斉に石田軍をおそった。石田軍は滞(とどこお)れ、水死者が続出した。あわてふためいた石田軍の包囲態勢がめちゃくちゃにくずれた。
決壊場所は、敵兵が工事したところであった。

過度の温情を示して、いいカッコをした三成の誤算であった。
知将は、やはり“知”でケジメをつけなければだめなのである。柄にない温情を示すと、文字どおり“自分の墓穴を掘る”ことになる。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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