⑥今回は「作家・童門冬二さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。
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「われこそは」
という個人単位の武技を競い合って生きている。それを小六(ころく:蜂須賀 正勝)は、
「仕事は集団でするものだ」
とはっきり言いきったのである。秀吉は感動した。そして、
(これからの事業は、集団で行なう方が能率は上がる)
と感じた。
「一応、主人と相談します」
と言って秀吉は城に戻り、このことを信長に報告した。信長は怒った。
「バカなことを言うな。野盗をそっくり雇(やと)うなどできることではない。小六が嫌なら、他の人間を探せ」
と、にべもなかった。
しかし秀吉は懇々と信長に説いた。
「殿の事業を完成させるには、これからはやはり個人が武技を競うのではなく、集団で仕事をする必要があります。墨俣城の築城はその実験です。蜂須賀小六は立派にやり遂げるはずです。どうか、小六だけでなく小六の部下もまとめて雇ってください」
珍しく強引な秀吉の頼みに、信長はたじろいだ。しかし、秀吉にも考えのあることがよくわかったので、信長はついに承知した。
蜂須賀小六は感謝した。そして秀吉の期待に応えて見事に洲に城をつくつた。このとき秀吉は、小六の連れてきた部下を三つの隊に分けた。一つの隊は城づくりに励ませる。一つの隊は敵に備えさせる。そして一つの隊は休憩するという仕組みだった。小六は感心した。
「おぬしは、組織づくりの名人だ。わたしにもこれほどの知恵はなかった」
小六は、秀吉が信長に交渉して自分の部下全員を正式な家臣にしてくれたので、感謝していた。
(若いが、この木下藤吉郎はきっと伸びる。忠節を尽くそう)
と思った。
以後の小六は、まるで秀吉の腰巾着のように忠誠を尽くしとおす。
その息子は、阿波徳島で二十五万石の大名に取り立てられた。
このとき、秀吉の「人を見抜く目」は、単に小六の技術だけを重要視したわけではない。技術者は律儀なところがある。小六が、
「自分の部下もまとめて家来にしてほしい」
と言ったのは、仕事は組織でするものだが、そのトップとして部下には深い愛情を持っているということを示していた。
それが秀吉の胸を打ったのだ。小六のほうもまた、自分の願いを信長に強引に聞き届けさせた秀吉の誠意に感動していた。秀吉の建設事業の底には、こういう、
「人間と人間の真心の交流」
があったのである。
結局、織田信長は明智光秀に殺されたが、秀吉はのちに側近にこう語っている。
「信長公は勇将ではあったが、良将ではない。いったん部下に憎しみを持つと、その憎しみは長く続いた。そのために、部下のほうも信長公をオオカミのように恐れていた。オオカミは結局は殺される」
意味の深い言葉だ。あれほど尊敬した信長に対しても、秀吉はこういうクールな目を持って眺めていたのである。ニコボン(ニッコリ笑って部下の肩をボンと叩き、しっかり頼むよというやり方)とほうびのバラ撒きが得意だと言われた秀吉にも、こういう冷たい″人を見抜く目″があった。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
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