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消費税増税はなぜ問題なのか?(第4回)

2016年08月05日 | 政治・経済

日本人には、長年にわたって、「貯蓄は美徳である」という考え方が形成されていて、「消費は、浪費・散財につながり、破滅へと至る」という気持ちが残っているのです。これは、貧しかった時代の名残であり、江戸時代以前のものの考え方です。

 

そのように、日本人の底流には、「勤倹・貯蓄・労働」型の思想が流れていて、「一生懸命に働いてお金を貯めるのはよいことだが、お金を使うことは一家を潰す元である」という考え方があるわけです。

欧米型の社会は、かなり消費型経済であり、消費によって景気がよくなることを知っているのですが、日本人はまだ消費を恐れています。

 

その背景には、「国全体のマクロのレベルでは、多くの人が消費をすれば、消費景気が湧く、しかし、それは全体の話であって、自分個人の家計で言えば、貯金が減り、家計簿が赤字に転落するだけである。したがって、国の景気をよくするためにお金を使うのは愚かである。自分は賢く貯めるので、どうぞ、ほかの人が消費をしてください」というような考え方があるわけです。

 

結局、この思想が変わっていないために、消費税率を上げることができないでいます。

要するに、「税率を上げると、ますます財布のひもが固くなり、ものを買わなくなる。そのため、景気が悪くなって、税収が下がっていく」という面があるのです。

 

この根本の哲学のところを変えずに、消費税率だけを上げようとしても、おそらく、そう簡単にいかないだろうと思います。

また、日本人が、所得税や会社の法人税のような「直接税」に慣れていることは、江戸時代までの、“お上からの税”というものに慣らされてきたことがかなり影響していると思います。

 

もし、消費税率を上げて、それで税収に換えたいならば、政治家や社会的に活躍している人、有名な人たちが、消費する姿勢を率先して見せなければいけません。

「私は、これだけ、いろいろなものを買いました。良いものを買うと、やはりいいですね」というようなことをPRする機会を、国として、もっと持たなければ、税率を上げるのは無理だろうと思います。

 

ところが、現実はどうかというと、そういう”贅沢“をして見せたりすると、すぐ税務署がやってきて税金をさらに取ろうとしたり、検察が動いて逮捕をしに来たりすることがあるのです。

「派手にもうけて、派手に使う」ということを許さないカルチャーであれば、基本的には。「少なく儲けて、ちまちま貯めて、使わない」というカルチャーになります。

つまり、日本の国のカルチャーは昔と変わっていないのです。

 

検察や税務署の考え方は社会主義にかなり近く、「貧乏のほうが善であり、豊かであることは悪である」という思想が、彼ら公務員の底流に深く流れています。

自分たちの給料が低いことに強い不満を持っている公務員たちは、嫉妬心をベースとして、民間人をいじめる傾向があるのです。

 

結局、消費税を上げようとしているのは、儲かっている人に、「お金を使って、税金をもっと払え」と言っているようなものです。「儲かっていない人は、お金をあまり使わないから、税金をあまり払わなくてもよい」と考えているわけです。

 

この日本のなかに根深く入っているマルクス主義的な社会主義、共産主義的な思想を変え、「豊かさは善である。消費をすることで生産者が喜び、世の中もよくなっていく」という価値観ができなければ、消費税率をむやみに上げていくことは、今の段階ではむつかしいでしょう。

消費税率を上げたければ、日本人のカルチャーを変える必要があるのです。

 

税率を、十パーセント、十五パーセント、二十パーセントと上げていったら、人々がものを買わなくなって、さらに不況になるでしょう。

現実に、人々は安売りのものに飛びついて、ディスカウントショップばかりが流行っています。

「ディスカウントショップのほうに人が行き、そこばかりで黒字が出ている」という状況から見ると、ここで消費税率を上げたら、もっと多くの会社が潰れ、出血大サービス型の安売りをするところしか生き残れなくなります。

 

体力のあるところだけが残っていき、安売り競争のなかで潰れる会社が数多く出てくるはずです。

これに対して、今、経済的には二通りの見方があります。

一つは、「ディスカウント(安売り)で生き残っていく」という考え方です。

もう一つは、「どこにもないような付加価値のあるもの、値打ちのあるものをつくり、それを高く買っていただく」という考え方です。

 

「ディスカウントで黒字を伸ばしている会社と、お客様に値打ち感を感じてもらい、高く買ってもらうことで黒字を伸ばしている会社と、二種類に分かれていて、その中間地帯が全滅してきている」というのが、現在の不況の段階なのです。

 

今、経済のあり方としては、そのようになっています。

ただ、ディスカウント型は、今はよいけれども、やがて競争が激しくなり、必ず潰し合いになってきます。倒産する会社が出てきて、勝ち残れるところはごくわずかになっていきます。したがって、先行きにおいては、地獄を見ることになると思います。

 

「ディスカウントする」ということは、消費税分もしくはそれ以上の金額を割り引くわけですから、「実質、消費税をゼロにする」ということです。そうした動きをしなければ消費者が動かないのであれば、国民に対する思想的な教育が十分にできているとは思えません。

 

お金持ちや豊かさを憎む心、あるいは、「贅沢品を悪と見て、課税する」という思想が、税務当局に長らくあったので、消費者には、「良いものを買うよりは。安いものを買う」という傾向が強いのです。そうすれば、ほかの人からも嫉妬されません。

 

このように、日本は平等性の強い社会であるために、消費税をかけにくくなっています。

したがって、基本的に、「日本人の考え方を消費税中心に変えていくのは、なかなか難しいだろうと」考えています。

 

日本の歴史を見ると、徳川吉宗のように、緊縮財政や質素倹約を奨励する政策を行った人の名前はよく残っています。一方、徳川宗春は、贅沢や大盤振る舞いをして景気をよくしましたが、罪人として監禁され、死んでからも墓に金網をかけられ、罪人扱いされました。

こういう文化が根強くあるのを見ると、日本に消費文化を根づかせるのはそう簡単なことではないと思います。

 

ビルゲイツやウォーレン・バフェットのように、何兆円もの資産を持つような人が現れても、人々が「すごいね」「大したものだ」「ああいうふうになりたいものだ」というようなカルチャーができるなら、消費税率を上げていくことは可能だと思います。

しかし、「そういう人を見たら、憎たらしくて、引きずり下ろしたくなる」というカルチャーであれば、平等性の非常に強い社会から抜けることはできないのです。

 

そうである以上、違う考え方を持ってくるべきでしょう。ある意味で、「税率の平等性」を言ったほうがよいと思います。

今、夫婦と子供二人の家庭の課税最低限度額は、三百万円ぐらいですが、税金を納めないのは、やはりフェアーではありません。

 

金持ちの人も貧しい人も、同じく、道路その他、いろいろな公共施設を使って生活している以上、同じ額は出せないにしても、やはり、応分の負担はするべきではないでしょうか。

ただし、年収百万円の人が十万円を払えるかどうかは分からないので、低所得者のほうは、少し軽減税率をかけなければならないかもしれません。

 

しかし、少なくとも「公共のものを使っている部分については、わずかでも負担する」ということに対して、気概を感じプライドを持つような国民をつくらなければいけないと思います。

税金を払わず生活保障ばかりを求める人は一部いてもかまいませんが、そうした人が数多く増えるような時代となっては、やはりよくありません。

 

「弱者に厳しい」と言われるかもしれませんが、「人間として平等であり、みな等しく一票の投票権もあって、同じ公共のものが使える」という状況であるならば、税率の多少の上下はあったとしても、やはり、直接税で応分の負担はするべきだと思います。

 

---owari---

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