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豊かな食生活を満喫した縄文人の文化

2018年12月19日 | 歴史

縄文時代の人びとの生活は現代人が想像する以上に豊かなものだった。食べ物ひとつ例にとっても、かまぼこや木の実の粉のクッキー、鳥獣の肉のハンバーグまであった。

 

縄文時代とは一万数千年前から紀元前四百年くらいまでの間を指す。西暦でわずか二千年しか経っていないことを考えると、いかにこの時代が長かったか分かるはず。ネーミングのもとになったのは、ご存じのように縄目文様の土器。これがなんと、人類史上最古の土器とされている。

 

最近まで、人類最古の土器はアフリカのケニアで発見された約八千年前のものと考えられていた。

 

ところが、昭和三十年代以降、愛媛県や福井県で発掘された縄目土器は放射性炭素の分析により、一万四千年以上も前に作られたことがわかった。土器作りにおいて日本は当時の「先進国」だったのだ。

 

<日本国内で見つかった縄文時代草創期の土器に付いていた「おこげ」に、魚などの水産物の成分が含まれていたことが分かり、その時代の人たちが何を煮炊きしていたか分かる世界で最も古い痕跡として日本やイギリスの専門家のチームが、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」の電子版で発表した>

 

土器の登場は、食生活に大きな変化をもたらした。それまで、生か焼いて食べるしかなかった料理法に、「煮る」が加わったからだ。硬く消化の悪い食品も食べやすくなり、衛生面で大きな進歩につながった。

 

縄文人の食生活を語るとき、海とのつながりを無視できない。水産物というと、貝塚の貝をすぐに思い浮かべるが、実際には多彩な魚介類が彼らの口に入っていた。たとえば、マグロ。それを証拠付ける遺物、「燕(つばめ)形回転離頭銛(りとうもり)」と呼ばれる漁具が宮城県の海岸地帯から出土している。

 

この銛は獲物に突き刺さると銛頭が柄から離れ、それにつなげた縄で手繰り寄せて取るという漁で使われていた。使い方や大きさ、形状から推理して、縄文人たちは外洋に出て、マグロなどの大型魚を捕獲していたと考えられている。

 

外洋に出ると言えば、巨大なクジラさえも縄文人たちの胃袋に収まっていた。石川県・能登半島の真脇(まわき)遺跡から発見されたクジラやイルカの骨によってそれは明らかだ。

 

たまたま浅瀬に迷い込んだのを捕獲したケースもあるだろうが、それだけでは説明できない大量の骨なのだ。縄文人たちは「待ち」の漁ではなく、積極的に外洋に出て大型魚を捕獲していたに違いない。大型魚を捕獲するには個人や家族では無理だ。おそらく集落総出のイベントだったはずだ。

 

まず、大型魚が回遊してきたことを知ると、数隻の舟で沖に出て、連携プレーで浅瀬に追い込み、最後は銛で仕留めたものであろう。

 

獲物を解体する作業にも、大勢の人手が必要だったはずだ。このことは、縄文時代にはしっかりした集団意識が確立していたことを物語っている。

 

こうした外洋での漁を可能にしたのが、縄文人の優れた航海術である。

 

それを裏付ける物証として、日本列島の離島のあちこちで縄文土器が見つかったり、特定の離島でしか産出しない石を用いた石器が本土で出土している。

 

さらに驚くのは、韓国の釜山でも縄文土器が発見されていることだ。これらの土器は日本から縄文人と共に舟で渡ったものと考えられている。

 

このように土器の出土や航海術だけをとっても、縄文人の優れた文化レベルがうかがえるのである。

 

---owari---

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