今だからこそ明かす、初版本の創作秘話・・・
こんにちは。「へんないきもの」デス。いつも本ブログをご愛読いただき、ありがとうございます。私自身、旅とランニングが好きで、最近は速く足ることに疲れ?(もっとも、速く走れない、ってのが正直な見解か)、もっぱら走り歩きで野山を徘徊するコトを目的に、途中、寄り道してドリンキング(主にビール)するのが大好きデス。
昨年3月末、約30年勤めた陸上自衛隊を早期退職し、「さて、これからどうしようか?」(注:通常は、どうするか決めてから辞めますし、自衛隊は中途退職者であっても次の職業を斡旋する面倒見のよい組織デス。が、私自身、会社勤め、というか組織の時間割に拘束されるコトに疲れ果てていたので、おそらく民間に就職しても同じ結果になるだろうと思って断りました。実は、辞める理由も相当な理由が必要で、この時は「日本縦断がしたいから」といって辞めました。そんな理由がまかり通ったのは、自衛隊だったっからかもしれませんけど(笑))
2016年4月1日(金)朝5時半、いつものようにベッドから飛び起きる。頭の横にあるドレッサーから迷彩服を取り出そうとする。無い。そうだ、今日からフリーなんだ。「自由人」だぜ、ワタシ!(笑)
それはそうと、とりあえず何をしようか?そう思って入った書店のレジの横に並んでいた文庫本のタイトルとイラストに目がいった。「ちょっと今から仕事やめてくる」・・・ワイシャツのネクタイをゆるめたしぐさの若いサラリーマン?のイラスト・・・思わず手に取ってレジへ。
主人公はちょうどその時の私と同じ境遇だった。唯一の違いは、精神的に追い詰められた主人公には自殺願望があったけど、私には自殺願望なんて全くないどころか、地球上の最後の生命体になっても「生き続けたい」という「生存欲求」があったコト!(笑)
でも、相当気になって読んでみた。あまりにも似すぎた境遇・・・その時、思った。ひょっとしてワタシ、小説書けるかも・・・!
そうだ、私バージョンの「ちょっと今から仕事やめてくる」を書けばいいんだ。即座に原稿用紙を買ってペンを走らせた。おりしも、文芸社が熊本で無料出版相談会をやる、という新聞広告があった。(ちょうど熊本地震の一週間前だった)
そうして書き上げた原稿を最初に送ったのが6月初旬・・・2週間ほどして書評が送られて来た。先にホメて後でけなす、ではないが、出版するにはここをこういうふうに直した方がいい、というアドバイスと出版に要する費用の見積もりが記載されていた。
まず、時系列がわからない、書き出しが唐突で理解するのが難しい云々のコメントがあった。最初の書き出しは何とかなるものの、時系列がわかりにくい、とあって私は手書きの原稿をもう一度、一から書き直した。時系列的にわかりやすいように。
この時点で当初の原稿用紙の枚数より大幅に増えたため、追加で15万円請求され、草稿から8カ月を経て「シンクロニシティ・ジャーニー」が全国の書店に並ぶことになった。
その間、2度3度、編集者と連絡を交わし、誤字脱字はくまなくチェックしたにもかかわらず、唯一、間違いがあった。なんと私自身のプロフィールだ。考えてみたら、編集者が全て直して再確認してください、と送られて来た原稿の中に私のプロフィールの印刷はなかった。だから完全にチェックもれ。ってコトで実際の私はプロフィールより5歳若いデス(笑)
そんなこんなあって、トータルジャスト200万円を支払って本を出しました。印税は5月に出ますが、業界の計算方式にのっとれば、私自身が手に入れるコトの出来る印税は12万円ってところでしょうか?
作家の優雅な印税生活、なんて思っている方の誤解を解くためにも言っておきます。
自費出版で200万出して本を出すことが半分、正気の沙汰とは思えないかもしれません。しかし、私自身、この方法しかなかった。本を出すにはいくつかの方法があります。出版社に直接売り込む、出版講座で学んでそこで紹介してもらう・・・
小説の世界でいうと正攻法は、文芸賞などに応募する、コトです。しかし、数百点とある応募作の中から数百分の一の確率で選ばれるには大変な時間を必要とします。実際、私の知り合いのお兄さんは、20年かかって作家になったそうです。
20年?後期高齢者になってます、ワタシ・・・(笑)
とりあえず、思いのたけをカタチにして世に出すことができたのは幸いデス。
今朝の朝刊にも旅行会社のHISが違法長時間労働をさせていた記事が掲載されていました。少しでも世の中の無駄な残業が減って多くの人が個人の充実に割く時間が増えるコトを祈念してやみません。