勇ましく高尚な生涯。内村鑑三が提示した、「誰もができる、いい生き方」。
オリジナルは「誰もが遺せる、後世への最大遺物」なんですが。
いろんな人の偉人伝とかを読んでいると、この本を挙げる人がとても多い。
ってか、もう「この本を知らないこと」は「恥ずかしいこと」に含まれる。とさえ、いえる。
それくらい、この本のインパクトは大きい。
そのエッセンスが、この「勇ましく高尚なる生涯」。
私も、この言葉に出逢って、30年くらい、この概念を超える概念に出逢ったことはないし、この概念を目指してきた。
勇ましく高尚なる生涯を歩まんとしてきた。
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先日、家庭連合のシンポジウム@静岡の懇談会でも、この概念を話題にした。
私から見て家庭連合の方々の「勇ましさ」が物足りないように感じたので、
「勇ましく高尚に生きてください。勇ましく高尚に生きるのは簡単ですよ。勇ましく高尚な一日を送ればいいんです」
ってサラッと言ってしまった。
やば。こう言ってしまった以上、私も、勇ましく高尚な一日を送らねばいけないことになる。
ま、日頃から心がけてはいるから、特に特別なことをしなければいけないというわけではないが、、、
でも、毎日の仕事・生活の中で、「勇ましさ」を発揮するのは、案外、難しい。
- 苦手なクライアントに連絡する
- スタッフや家族に違和感をシェアする
- 照れくさいけど、周り(スタバやコンビニの店員さんとかビルの清掃員とか)を喜ばせる一言を言う
- 溜まっている仕事を片付ける
これくらいだろうか、私の日々の仕事で「勇ましさ」を発揮できるシーンは。
いま自宅リビングでこのブログを書いているんですが、
散らかっている自宅リビングを、いつもよりもう少し、片付ける
ってのも、ある意味「勇ましさ」といえそうだ。
- ちょっとの背伸びを。
- あと1ミリ、頑張る。
- いつもよりちょぴっと、いい行動を。
常にそう考えて、行動する。
これが毎日発揮できる「勇ましさ」なんだろう。
常に自分に不満であること。常に向上せんとしていること。常に「自分はまだ物足りない、もっとできる」と思うこと。
「勇ましさ」ってのは、こういう謙虚さから生まれる。
そう。謙虚さが勇気を生む。そう言えるのかもしれない。
一般的には、「勇気のある人」っていうのは、自信家で、ちょっと傲慢で、暑苦しく、近寄りがたいってイメージ。
違う。
勇気のある人は、実は、その内面において、謙虚なのではないか。謙虚に向上心を持っているからこそ、勇気が出るのではないか。
「常にもう少し勇気を出そう」と思っている人というのは、謙虚なのではないか。
30年、内村鑑三の背中を追い、「勇ましく高尚な生涯」を志してきた自分には、そう思える。
いかがでしょうか。