先週行われた、家庭連合の、解散命令裁判。証人尋問が行われました。
仔細はこちら
そこに直接立ち会った方から、あれやこれや、深い、細かいお話を聞きました。
仔細はおってお話できますが、
法廷に神が降りてきた。
私はそう思いました。宗教裁判だけに、「神」について頻発して語る。
相手方が語る神。
こちら側が語る神。
日本の裁判所で、ここまで深い、神に対する会話、見解、経験が示されることがあるか。さすが、歴史に残る宗教裁判だと思いました。
どんな人、どんな辛い境遇、どんな酷い方に対しても、決して、責めない。他責しない。
常に自責する。自省する。自分の能力が足りなかったと謝る。
そういう立派な信者の言動から、「信仰の力」というものがたしかに示されたはずです。
鈴木謙也裁判長が、宗教や神に対してどのような見解をお持ちか存じ上げません。
ただ、先週の証人尋問では、一つの「宗教体験」をされたのではと思います。
最も宗教から遠いようなおカタい法廷で、
最も鮮やかな宗教体験。
____________
今日はこれから外出なので取り急ぎ。
またおって詳しく書きます。
神観に於いても、この世に五萬と信仰の形があります。
人間の生きる力の源を犯す事は、生きる事を否定する事になりますね。