2月19日、気温は低いがいい天気である。
朝食しているときに、休暇村の人が「亀山に行きませんか」と声をかけられた。
今日は、平泉の中尊寺に行って、仕事の写真を撮る予定であったのだが、まだ朝早いのでいっしょに行かせていただいた。
亀山は島の一番高い場所で、震災前までは港からリフトがつながっていた。しかし、津波でリフト乗り場は破壊され、そのうえ次の日に気仙沼市内から海を渡ってきた火によって、大規模な山火事が起こったところである。
休暇村から歩いて40分で、車では10分もかからないすぐのところだが、途中の木々の多くに燃えた跡がくっきり残っていた。
休暇村の人にいろいろ説明してもらいながら展望台に登ったが、素晴らしい景色である。
観光の目玉になると思った。
「実は、こんなにここは開けていなかった。火事で木がほとんど燃えたために切り倒してこんな眺望になった」と説明された。
非常に複雑な気分になった。山火事でよく見えるようななったなんて・・・。
すぐ近くには愛宕神社という小さな祠があったのだが、まわりは焼けているのに、ここだけはまったく燃えなかったとのことである。不思議であるが、ここは燃やしてはいけないという天の力だろうか。
「ここの下から連絡橋があと6~7年で完成する」と教えていただいた。
この橋については、災害対策本部の人も居酒屋さんも待望の橋であり、島の人間が気仙沼市内まで働きにいくのに便利になると喜んでおられた。もちろん観光にも役立つ橋である。
ただし、島の一部の人は反対しているとのことも聴いた。「治安面」が一番のネックになっているらしい。これは乗り越えなくてはいけない問題だが、伊豆七島の2・3の島がかつて治安や風紀が乱れて問題になったことがある。「治安面」は橋ができるできないということとは違うような気がする。
いろいろなことを勉強した大島での二泊三日であった。食べたことのない郷土の料理を食べ、ハクビシンが出るかもしれないと忠告を受けていたのに、真っ暗な道を踊りながら歩いたり。
「縁は異なもの」とよくぞ言ったものである。
平泉の帰りの新幹線。大阪まで五時間半。
長いなあと思っていたが、夏に知り合ったボランティア仲間やいろいろな縁で知り合った人たちに島のようすをメールして、返事が来て、また送ってということをしていたらあっという間に東京に着いた。なんせ、私のメールを打つスピードが遅いものだから、電池もなくなりかけたり大変だった。
東京からの新幹線にはしっかりと電源のプラグがあったので、またまたメールで盛り上がった。
前年の8月の帰りに、電車でいっしょになったお寺の娘さんにもメールをしたところ、なんと私の乗った新幹線の少し前の新幹線で、京都に出張で向かっている途中ということがわかった。まさかのサプライズである。
彼女は、京都駅で会いたいと連絡をくれた。
そして、駅の待合室で久しぶりの対面である。島の写真を見ながら、最終新幹線が出るまで盛り上がってしまった。
しばらくは思い出して眠れそうもない日が続くかもしれない。