私の母の
あだ名は
感謝 感謝のおばあちゃん
でした
そういえば
常に
職業婦人として
家の外で
活躍していた母は
「ありがとう!感謝!」と
言っては
どんな方にでも
千円や
お米や野菜など
御礼
というものを
手渡していました
子供としては
お金や食べ物では
なくて
ただ ただ
そばに
いてほしかったのです
でも
100年以上たつと
この母のしていたことが
我が身に
降り注いできます
母は
30才のころ
女学校の教師として
働いていまして
18才位年上の
自分が
小学校の時の先生だった
私の父から
後添えとして
「嫁いで3人の残された
男の子をみてほしい」と
結婚して
できたのが
私です
だから
兄といっても
かなり年齢が離れていて
結婚もして
物心ついた頃には
その兄たちの
子供の
甥や
姪が
私と同じ年頃で
甥や姪の
マーちゃんや
あきらや
孝子と
兄弟のようにして 育ちました
そして
母は
主人と3人の兄と
兄のお嫁さんと
その子供達と
女学校の教師としてかかわる
生徒さん方と
ご近所の村の方々と
親戚の人
と
それから
私
この
状況を
乗り切るのに
感謝の気持ち
ひとつで
乗り切っていったのでは
ないでしょうか
感謝の心を
物にかえてでも
きっちりと
お伝えして行くことの
大切さと
必要があったのですね
2人の兄を
戦争で
女学校の
生徒さまを
軍需工場
攻撃で
兄の子供を
交通事故で
悲しいことが
立て続けに起こった時代を
たくましく
生きなければ
ならなかった母
日々の
日常が
あることに
ただただ
感謝して
生かされたのですね
ありがとう於良