【 はろはろに 思ほゆるかも 白雲( しらくも )の 千重( ちへ )に隔( へだ )てる 筑紫( つくし )の国は 】 はろはろ
はるかとぉく ぃとしぃぁなたさま すき 白雲さまが
私たちのぁぃだを . . . 本文を読む
【 松浦川( まつらがは ) 七瀬( ななせ )の淀( よど )は 淀むとも 我( われ )は淀まず 君をし待たむ 】
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佐賀県 東松浦郡 の
玉島川 は。。
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七山村 から はじまっ . . . 本文を読む
【 春されば 我家( わぎへ )の里の 川門( かはと )には 鮎子( あゆこ )さ走( ばし )る 君待ちがてに 】
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春さま に
ぉこし ぃただきます と。。
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家 ちかく の . . . 本文を読む
【 年のはに 春の来( きた )らば かくしこそ 梅をかざして 楽しく飲まめ 】 大令史野氏宿奈麻呂( だいりやうしやじのすくなまろ ) ぁたらしぃ年
ごとに 春さまが ぉこしに
なられましたら こぅして . . . 本文を読む
【 春なれば うべも咲きたる 梅の花 君を思ふと 夜眠( よい )も寝( ね )なくに 】
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. 板茂連安麻呂( いたもちのむらじやすまろ )
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春 なので
ほんとっ。。 咲かれ ました . . . 本文を読む
【 万代( よろづよ )に 年は来経( きふ )とも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし 】
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. 佐伯直子首( さへきのあたひこおびと )
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千万年
年 は すぎても。。
. . . 本文を読む
【 言問( ことと )はぬ 木にもありとも 我( わ )が背子( せこ )が 手馴( たな )れの御琴( みこと ) 地( つち )に置かめやも 】
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. 藤原房前
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ものぃぇなぃ
. . . 本文を読む
【春されば 木末(こぬれ)かくれて うぐいすぞ 鳴きていぬなる 梅が下枝(しづえ)に】
少典山氏若麻呂
(しょうてんさんじのわかまろ)
太宰府四等官次席
春になったので
こずえに
隠れて
うぐいすが
梅の下枝に
鳴きながら
飛びうつって
行っちゃうよ。。。
天平2年(730)お正月13日の春に
大伴旅人の邸宅に人々が集まって、宴会を開かれた時の歌です。
その時の梅の花の歌は、な . . . 本文を読む
【妹が見し あふちの花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ 干なくに】
山上憶良
筑前守だった【山上憶良】が、上司である太宰府の長官の
【大伴旅人】が愛する妻のを亡くした、心をさっして、旅人の身になって詠んだ歌です
旅人が筑前に行ったのは、聖武天皇の728年で、64才の、年の初めの頃でした。
そして
間もなく
妻の【大伴郎女】が(たぶんその年の3月末ころ)亡くなられまし . . . 本文を読む
【瓜 食(は)めば
子ども 思ほゆ
栗 食めば まして
偲はゆ いづくより来(きた)りし ものぞ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ
銀(しろがね)も
金(くがね)も 玉もなにせむに 優(まさ)れる宝 子にしかめやも】
山上憶良の歌
瓜を食べては 子どもらを思います。
栗を食べては
なおさら、偲んでしまうのです。
何の因果で
生まれてきたのでしょうか
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【あさりする 漁夫の子どもと人は言へど 見るに 知らえぬ うま人の子と】
身分の高い 旅をしている人が、松浦川で魚を釣っている、少女を見て詠まれた歌です
1991年10月10日、18年前犬養孝先生、清原和義先生とともに、この歌が読まれた場所を訪れました
私のスケッチブックに玉島神社から玉島川を見おろした写生が残っています
玉島神社には神功皇后が祀られていて、川の返に神功皇后がお立 . . . 本文を読む