嫁いだ家の
ご先祖さんが
住んでいた
声をかけられました
なんでも
婿養子に入られて
福川という名前の
村に
住んでいる
と
でした
私が嫁いだ
阿波から
10km. 位離れた
千戸( せんど )という
伊賀国一宮の敢國神社さまの
裏
この
小さい
同級生の
訪ねて行きました
私の
売り払って
ちゃんとしてから
伊賀上野の
知っていました
けれど
私には全く
わからなかったのです
福永君の家の
小さなお社が
きましたら
そこは
福川伝治さんという人の
申しあげましたら
「 あの石はな~
先祖さん方と
三軒の家で
守って来た石で
この石を
毎日3回持ち上げて
コンコンコンと
絶対に
1日でも休んではいけない
この石は
もともと
ひとつは
天皇さんが持って行った
モウヒトツは
ある らしい 」
と
家で
育てていた話など
いろいろ
してくださいました
夫の
父は
福川吉宗という人ですが
ご養子さんでしたので
その頃は
様子を
おられました
伝治さんは
毎日毎日毎日
特別なお米を
丁寧に
作り続けて
天皇様から表彰して頂いて
御皇居まで
行かれたことが
生きる支えとなって
福川さんもなさっておられるのは
まさに
夫も
阿波村の
流れている感じなのは
その土地に
足を踏み入れた
教えて頂きました
なんか
変わった言い伝えがある村で
それぞれの家に
守らなければならない
約束があるらしく
かぼちゃを
福川さんもありました
伊賀忍者の
まさに
ど真ん中のところで
親戚には服部という人もいますし
本籍は
伊賀市忍町です
この不思議な
存在を伝えて来た
とも
ました
私は
鎮懐石のことを
文の
拓本万葉集を
ちゃんと表具して
人々に
頂いていました
なんとなく
気になって
見てみましたら
なんと
書かれてあった
詳しい
鎮懐石と呼ぶことにしました
この鎮懐石に
来たように思います
その後
壱岐の島から
占部英幸さまという
ご先祖様が
自宅に泊まりに来られて
その
占部さまの
ご縁で
出会った
のではないか
説明して頂きました
どうやら
福川さんは
どっぷりの
福川荘という
いつかは幸勇さんと行ってみたいです
でも
ご先祖様は
何かを伝えて来られるのですね
ご先祖様が
感謝しています
この名字はシャチハタにもないので知られていないと思い打ち込みましたら出てきたのでびっくりしました。
今度福川荘に行ってみたいです。
元気だった頃のおじいちゃんが目に浮かぶようで、こちらのブログを拝見してとても嬉しい気持ちになりました。
また、私も祖父・伝治の遺去をきっかけに福川のルーツを追いはじめたものですから、とても参考にもなりました。
上手く言えませんがこの記事がとても嬉しいです。
ありがとうございます。