![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/06/499e422a1b718bf5d39b72592d8a82af.jpg)
【妹が見し あふちの花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ 干なくに】
山上憶良
筑前守だった【山上憶良】が、上司である太宰府の長官の
【大伴旅人】が愛する妻のを亡くした、心をさっして、旅人の身になって詠んだ歌です
旅人が筑前に行ったのは、聖武天皇の728年で、64才の、年の初めの頃でした。
そして
間もなく
妻の【大伴郎女】が(たぶんその年の3月末ころ)亡くなられました。
万葉集巻5の頭には、妻の死をいたんだ、漢詩と長短歌がのせられています。
その中で特に
【日本挽歌】と題された、【山上憶良】の【長歌】があって その【反歌五首】の中の一首です
妻が、生きている時に見ていた あふちの花は、もう 散ってしまいそうです 妻をしのんで 泣いている 私の涙も、まだかわいていないというのにね。
妻の死という現実におこったことを、受け入れることができなくて、悲しみというものは、たやすくなくならないことを歌っています
【あふちの花】は
【大伴旅人】の妻【大伴郎女】が、あまり目立つことのない、おとなしい女性の象徴となっていて
また
亡き妻に心ひかれて、憂いに沈んでいる、【大伴旅人】の心の象徴となっているようです
あふちの花は、小形で薄紫で、人目をひくような派手なお花ではありませんので、【山上憶良】は【大伴旅人】の心をいたわって、【あふちの花】に気持ちをたくして表現されていますね
【長歌】では、敬語を使っていることから、【山上憶良】の妻の歌でないことが、想像できるのですが、
【反歌五首】では、もう 自分の妻の死のことのように、まったく、【大伴旅人】の気持ちになりきって詠われていると
本を読んでわかりました。
人が心いためている時
その
そばにいる人
あなたの
心の中に入って
同じいたみを知ろうと
その人に
なりきってしまう
これも
【愛】
ありがとう於良
山上憶良
筑前守だった【山上憶良】が、上司である太宰府の長官の
【大伴旅人】が愛する妻のを亡くした、心をさっして、旅人の身になって詠んだ歌です
旅人が筑前に行ったのは、聖武天皇の728年で、64才の、年の初めの頃でした。
そして
間もなく
妻の【大伴郎女】が(たぶんその年の3月末ころ)亡くなられました。
万葉集巻5の頭には、妻の死をいたんだ、漢詩と長短歌がのせられています。
その中で特に
【日本挽歌】と題された、【山上憶良】の【長歌】があって その【反歌五首】の中の一首です
妻が、生きている時に見ていた あふちの花は、もう 散ってしまいそうです 妻をしのんで 泣いている 私の涙も、まだかわいていないというのにね。
妻の死という現実におこったことを、受け入れることができなくて、悲しみというものは、たやすくなくならないことを歌っています
【あふちの花】は
【大伴旅人】の妻【大伴郎女】が、あまり目立つことのない、おとなしい女性の象徴となっていて
また
亡き妻に心ひかれて、憂いに沈んでいる、【大伴旅人】の心の象徴となっているようです
あふちの花は、小形で薄紫で、人目をひくような派手なお花ではありませんので、【山上憶良】は【大伴旅人】の心をいたわって、【あふちの花】に気持ちをたくして表現されていますね
【長歌】では、敬語を使っていることから、【山上憶良】の妻の歌でないことが、想像できるのですが、
【反歌五首】では、もう 自分の妻の死のことのように、まったく、【大伴旅人】の気持ちになりきって詠われていると
本を読んでわかりました。
人が心いためている時
その
そばにいる人
あなたの
心の中に入って
同じいたみを知ろうと
その人に
なりきってしまう
これも
【愛】
ありがとう於良