2011年7月、震災後4ヶ月の陸前高田を訪ねた。
その瞬間まで、そこで暮らした人々の姿を思わせるモノたちを「ガレキ」と呼ぶのは悲しかった。
仮設住宅を一件一件訪ね、要望を聴き、地元の議員さんに伝えた。
そうして歩きながら、何年かしたら必ずもう一度、ここに来ようと思った。
陸前高田は、岩手県内の自治体で亡くなった方の人数、そして遺児・孤児となった子どもたちの数が最多。
「12人に1人」が亡くなった」というのは、津波被害の及ばなかった山間部を含めてのことだから、沿岸部では数人にひとりが命を落とされたということ。
総世帯数の約4割が全壊、または大規模半壊で「居住不可能」となったといわれる。
この2年半、国の支援が後手に回る中、被災自治体は何を優先してきたのか。
復興計画は、どのように描かれ、人々の暮らしに希望の兆しは見えているのか。
限られた時間ではあるが、しっかりと見てきたいと思う。
台風24号が近づいている。
「台風と道連れ」はあまり嬉しくないが、元気に行ってきます。
きょうは、出かける前にしておくこと、9月議会の報告ニュースを仕上げ、印刷は森下議員にお願いして、お聞きしていた相談の対応に一日走りました。
夜は会議です。
明日の未明に出発し、往路は福島の「原発地帯」を通過して、岩手へ。
翌日10日は、2年半前にもお世話になった地元の議員さんに案内していただいて、市内を視察。
11日に帰ってきます。
その瞬間まで、そこで暮らした人々の姿を思わせるモノたちを「ガレキ」と呼ぶのは悲しかった。
仮設住宅を一件一件訪ね、要望を聴き、地元の議員さんに伝えた。
そうして歩きながら、何年かしたら必ずもう一度、ここに来ようと思った。
陸前高田は、岩手県内の自治体で亡くなった方の人数、そして遺児・孤児となった子どもたちの数が最多。
「12人に1人」が亡くなった」というのは、津波被害の及ばなかった山間部を含めてのことだから、沿岸部では数人にひとりが命を落とされたということ。
総世帯数の約4割が全壊、または大規模半壊で「居住不可能」となったといわれる。
この2年半、国の支援が後手に回る中、被災自治体は何を優先してきたのか。
復興計画は、どのように描かれ、人々の暮らしに希望の兆しは見えているのか。
限られた時間ではあるが、しっかりと見てきたいと思う。
台風24号が近づいている。
「台風と道連れ」はあまり嬉しくないが、元気に行ってきます。
きょうは、出かける前にしておくこと、9月議会の報告ニュースを仕上げ、印刷は森下議員にお願いして、お聞きしていた相談の対応に一日走りました。
夜は会議です。
明日の未明に出発し、往路は福島の「原発地帯」を通過して、岩手へ。
翌日10日は、2年半前にもお世話になった地元の議員さんに案内していただいて、市内を視察。
11日に帰ってきます。