5月31日の夜、「生活保護と家族の『扶養義務』」に
コメントをいただいた「二児の母」さんは、きょう夕方パートの仕事帰りに市役所により生活保護の申請をされました。
コメントも公開しているので、ご本人の了解を得て結果を報告します。
申請を終え、子どもさんを迎えに行かれました。晴れ晴れとした「おかあさん」の顔でした。
「パートの収入と前夫からの養育費、あわせて10万」の母子家庭の母親が、生活保護の窓口を訪ね「貸付金の提案をされた」というコメントを読んで、私は「泉大津のことではないだろう」と思った。
同じような状況の、ひとり親家庭の母親の生活保護申請に立ち会ったことは何度もあるが、一度も「貸付金の提案」などされたことはない。あたりまえだ。
収入が劇的に増える見通しがなく、貸付金で当面の生活費をやりくりしても、なんら根本的に解決にならないばかりか、後の負担を大きくするだけだから。
ところが、それは泉大津でおきた話だった。
コメントをくださった「二児の母」さんから携帯にメールが入ったのが翌日。
そしてその翌日の土曜日にお会いした。
「泉大津のこと」だったのもショックだが、もっとショックだったのは、そこには3歳、5歳の元気な子どもたちがいたこと。「晩御飯のとき、『これだけ?』って子どもに言われるのが辛い」と・・・・。
この子たちがいるからこそ、パートの仕事に行く前のわずかの時間に市役所の窓口を訪ねる決心をしたに違いない。
昨日、市の職員さんから話を聞いた。「どうしても困ったら、また来てください」と言ったという。「門前払いはしていない。申請の拒否もしていない。」ということだろう。
すでに「困った」から来ているのだということ。それは話をきけば明らかなことだ。
しかも、手持ち金と今後の収入見込み、就労の状況、世帯構成を見れば、「究極に近い困窮」だ。
「生活保護は、『他法・他施策』優先なので、貸付の制度を紹介した」と言う。
貸付金は「生活保護に優先する他法・他施策」ではない。借りたら返さなければならないのだから。
生活保護の窓口を訪ねるほとんどの人は、「何とか助けて欲しい」と切羽つまった思いでいても「申請に来ました」とは言わずに、「相談に来ました」と言うのでないか。
そしていろいろ言われて(「前夫からの仕送りを増やせないのか?」とか、貸付金のことなど)「やっぱりムリなんだ」とあきらめて帰る。
それを「申請せずに自分の意思で帰った」と言うのなら、あまりに心がないと言わなければならない。
日本の子どもの貧困率(全世帯の所得分布の中央値の半分以下の所得の家庭で暮らす子どもの割合)は14.3%。「二児の母」さんのように「働いているひとり親家庭」の子ども貧困率は、なんと65.4%。子どもを保育所に預けて、ほぼフルタイムで働いても尚、生活できるだけの収入が得られない現実がある。
おなかいっぱい食べて、安心して眠る。
そういう毎日を、すべての子どもたちに保障する責任がおとなにはある。
それは、親だけでの責任ではなく、今生きている私を含めたおとなたちの責任なのだと思う。