じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

きょうの戯言

2021-04-09 16:29:46 | 日々の雑感
いや、金曜日というのは割とニュースが多いと思って巡回してきたんですがドーにもこーにも世の中はコロナ中心に回っているんで平常時ならビックニュースも感覚的に霞んじまって捉えにくいと思うんですが如何でありましょうか?

あれ、今朝のNHKテレビのニュースで取り上げたヘイトスピーチ関連は面白かったですね。

在日コリアンの人の声を取り上げてDHCともう1件は建設会社のヘイトスピーチをニュースに仕立てていたんですが笑いどころはDHCの会長のコメントでありました。

これはヘイトでありましょうか?
まっ、滅多なことを言うとブログでも叩かれますんで私ゃ発言しませんが、こっそり言うとDHCを応援します、なんちゃって。

で、テレビではNHKとともにフジテレビの内部には特定外国系の人が多いとネットでは出ているわけです。
そこで閃いたのが狐狸庵先生であります。
漢字だとイメージ湧きませんけどコリアンって書いたらそのまんまじゃねぇ?
と、驚いたんですが、狐狸庵先生の息子はフジテレビの社長なんですってね。
まっ、勝手な憶測は事故の元、なんちゃって。

NHKは幹部・アナウ ンサー・社員のほとんどがコリアン系である。出演者についても、学者・芸能人・スポーツ 選手の多くがコリアン系であり、ひどいことに偶然を装った街角のインタビューさえコリア ン系を選んでいる。予めリストアップしているのである。特徴のある名前とつき出たあご、 引きしまった小さな口元、何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく。

いや、DHC会長の発言を貼り付けたんですが、一部承服しかねる文言があって私ゃ気分を害しました。
何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく・・・私ゃ間違い無く日本人と思ってますが後頭部のことを言われると困るわけです。

日本人に絶壁がいたって良いじゃねぇか、なんちゃって。

既に目ぼしい品種は持ち出されているので遅きに失した感は否めないんですが今後ということで無いよりはマシ、ってことですかね。

新たな対策は評価できます。ただ、新品種の保護はまず、国際条約(1991年ユポフ条約)のルールに従い、規定の期間内に相手国で新品種を登録しなければなりません。さらに大切なのは生産者や開発者が、新品種などを知的財産と考える意識改革です。

と、新聞社の人が宣っていますので国内向けのガス抜きなんじゃ無いのかという気がするんですが、まっ、いいでしょう。

いや、地元民の気持ちを慮ると大きな声じゃ言えないんですが、タンクに貯めるのは限界ですぜ。
私ゃ何度か現地を見てきましたが、そりゃぁ貴方、一目見たら限界だってわかります。

さらに漁業関係者への支援や地元産品の販売促進、観光客の誘致などを後押しし、それでも生じる風評被害には東京電力が丁寧な賠償を実施するとしています。

あれです、震災と原発のピカから復興してさぁこれからだと言う気持ちは分かりますがドーかそこは一つ堪えてお国のために呑み込んで東電からの賠償をふんだくってください、なんちゃって。
でも、国も10年の節目を超えるまでは黙っていたんでしょうね、なんと無くそんな気がしますが、まっ、いいでしょう。

自分が読んだ本には変異株やいずれ新種のコロナが出てきて騒ぎになることが予想されていたんだけれども、見事であります。

変異というとあたかも一等最初のコロナ菌と親戚とか家族かというと、ウイルスは物凄い速さで変異するんで一年どころか半年も待たずに原型を留めないウイルスになるとも書かれていました。
なので、PCR検査で見つかるコロナ菌は早晩コロナとは別の何かを検出して騒ぐであろうとも書かれていました。

まっ、シロートの自分が本を読み齧ってコロナ菌を否定しても詮無いことですが、私の勘ではワクチンを売り切るまでは騒動は続くんですぜ、なんちゃって。

で、ついでに言うと国政も楽で良いよね、コロナだからって言っとけば集会もデモも禁止できるんですぜ。
今時スクラム組んでデモなんかやったら非国民の謗りだけでは済まされないわけでして、凄い世の中になったもんだと驚いてますが、まっ、いいでしょう。

もっと言えば、国民の興味はコロナに集中しているんで、テレビや新聞はコロナと天気予報を流しとけば敢えて政権を突かなくてもニュースが成り立つんで国会も気楽ってもんであります。

こんな時こそ国民はコッソリと通されている法案をチェックしていないと後で泣きを見るかもしれませんぜ、なんちゃって。

おおっと、風呂が沸きましたので、んじゃ。

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袋菓子三つ貰った!!!

2021-04-09 15:40:28 | 日々の雑感
先ほど見ず知らずの赤の他人の近所の人が訪ねてきて「植木屋さんなんですか」と突然言うわけです。
私ゃ自称植木屋ではありますが他人が私を認めているかは分かっていないので「たぶんそうかも知れませんが」と曖昧に返事をしたわけです。
すると近所のおっさんは「五軒ほど先の坂上と言うものですがちょっと桜を見てもらえませんか」と言うわけです。
桜と言われても色々あるし、見てくれと言われて観たら褒めなくてはならないかも知れないし、で面倒くさいと思ったんですが坂上さんは「植えて四年なのに花が咲かないんですよ」と言うわけです。
ああ、私の家の仙台枝垂れ桜があまり見事に咲いているんで僻み根性で来たのかと思いましたがまだ咲いていないと言うとそーでは無いと思い、仕方が無いので観に行ったわけであります。

で、庭に案内されると樹高3メートルほどの枝垂れ桜が無残な姿で立っていたわけであります。
枝垂れ桜の枝を詰めたら咲くものも咲かなくなるんだけれども、しかし一輪も咲かないってことは無いわけで「これは山から盗んできたものですか」と問うたわけです。

すると坂上さんは「いやいや山形の植木市で四年前に買ったもので盗んだものでは無いです」と言うわけです。

ほほぉ、山形の植木市ですとな、と言うことで、それなら咲かないはずは無いんですが、ひょっとすると自生の一年生の苗木かも知れませんぜ、と言って「なんぼで買いました」と聞くと「千円くらいです」と答えたわけであります。
そっかぁ微妙だな、でも咲かないってのは自生で木にはまだ花を咲かせる力が無いってことかもと思ったわけであります。
なので「あと2年、絶対にどこも切らずに餌だけ与えてください」と言ったわけですが、2年で咲く保証はどこにも無いのであります。

で、坂上さんは「餌は何を与えましょうか」と問うので「金魚の餌ではダメですから油粕の大玉を晩秋に幹の周り30センチに撒いてください」と言ったわけです。

で、そう言って四年ものにしては細い幹の30センチくらいのあたりを見るとなんかの花らしきものが芽を出しているわけです。

いや、桜ってのは根が浅いんで若木のうちから木の周りを踏むのや他の植物を植えるなどは良く無いとされているんですが面倒くさいので黙っていました。

しかし、葉っぱはそこそこ元気に出ているんでたぶん若木だから咲かないと思うので大丈夫とおもって坂上さん宅を後にしたわけです。

すると、すぐに追いかけてきてコンビニ袋に詰めた袋菓子を三つもくれたわけであります。

これはたぶん坂上さんがナイターを観ながらビールを飲む時に齧るせんべいだったんですが意地汚そうな植木屋を手ぶらで返したら後で何を吹聴されるか分かったもんでは無いと怖気付いて慌てて持ってきたとは思いませんが、でもせんべいなどの袋菓子を三つくれたのでありました。

自分としては近所で植木屋だと思われていることを知って少し驚くとともにこれからはハッキリと植木屋です、と言おうと思った出来事でありました。





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俺には悩みが無い

2021-04-09 11:24:48 | 日々の雑感
いや、気を衒っているわけでも無く、ましてや本音では無い、なんちゃって。

なんと申しましょうか、小さな悩みと言いますか、思う程度のことはあるんですが若い頃に抱えていたような「人生の進路」的なものは無いのであります。

まぁ、人生の峠を登りきった安堵感と申しますか、立場的に全ての責任から解放されたので悩みは無い、と言い切れるのでありましょう。

こうしてみると自分の悩みってのは「いかにして食うか」であって、例えば子育てとか、会社での立場なんてのも要するに金に関わる話でして、生まれが貧乏だと資本主義社会では避けて通れない話であったと思うわけであります。

なので今の時代の悩みなんてのは九分九厘金で解決するし、残り一厘分だけが真理であり、それは「死」だと思うのであります。

あれ、仏様は四苦として生老病死を語ったわけですが、僭越ながら本当は「死」だけで良かったんじゃね? と自分は思うんですが、まっ、いいでしょう。

で、俺には悩みが無いと嘯いた自分ですが、実は色々あって死ぬことを受け入れたので悩みがなくなったのであります。

自分に言わせると死ぬのが怖いってのは生が楽しいからなわけで、生きるのに悩むってドー言うことなの? となるわけであります。

どーですか、人は生きることに悩みつつ、死を恐れると言う矛盾を抱えるわけであります。

どっちか一つってわけに行かないのかしら、と思うんですがやっぱし仏様が仰言った四苦は正しくて生老病死は人が生きる上で逃れようの無い煩悩であります。

あれです、齢をとると身軽になるために断捨離なんてことをやりたがるわけですが、これもドーなんだか、と近頃思うんであります。

ものを多く持っているのを恥じたり無様と思うのと、自分的に最小限と思しき整理されたものを持つことの差は、所詮意識の差異の自己満足でして持っていることに変わりは無いと、近頃は思うようになったのであります。

あれです、死んだ後の自分のへ評価や、死なれた方の面倒なんてのは死んでしまった自分の与り知らぬことでして気にやむ必要は無いと思うわけであります。

死んじまっているんですから無責任で面倒なやつだなと言われても痛くも痒くも無いわけでして、それを気にするのは生きている意識であります。

なので処分しきれていないエロビデオもエロ小説も無理して処分しなくても良いことにした次第であります。

で、結局は金の話になるんですが、日本国の行く末など誰にもわからないので年金で食い続けられるのかは不透明であります。

まっ、私の好きな余談になってアレですが、年金は少しずつ減るんでしょうけれども飢え死にするほど絞るってことは無いと思うんであります。
それは、今後は益々年金しか頼るものが無い年寄りが増えるわけでして、それらを干上がらせると日本国の消費経済が潰えてしまうわけであります。
なので、貧乏人は麦を食えと言われることはあっても飢え死にはさせないと思うんであります。
で、特に、なんぼ国債発行しても平気ですって宣うMMT理論が本物なら尚の事国が金に困るはずはないので安泰だと思うのであります。
まっ、MMT理論は嘘でして中途半端に国民を騙す仕掛けなので破綻しますけど、まっ、いいでしょう。

で、んじゃぁ年金で食えなくなって、年齢的には働くのもキツイとなったらドーするのか、でありますが、そこは潔く死ねば良いと気楽に行くのが良いわけであります。

さらに余談でナニですが、昨日の仙台市のニュースのように80歳や90歳で亡くなってもコロナ死ってことで痛ましい風に語られてましたが、死ぬのが当たり前で、死んで良しと考えたらコロナも怖く無いわけであります。

あれです、天保四年の飢饉の秋田県では人口40万人の中から10万人の餓死者が出たと記録にあるわけで、令和の時代のコロナ騒動の死亡者数なんてのは屁みたいなものと思うわけですが、時代によって人の命の価値は違うので不問に処す、なんちゃって。

死ぬってことを受け入れると大概のことが怖く無く、迷うこともなくなるぞ、と自分は思うわけですが、迷うってのは道に選択肢があるからでして、一本道ならないはずなんであります。

さて、そろそろ落ちなんですが、もう分かっちまいましたかね?
そーいうことで、生まれたら死ぬと決まった人生は一本道でして、寄り道しようが脇道に入ろうが終点は一緒なんであります。

なにっ? 寄り道と脇道にこそ人生の妙味がある、ですとぉ?
そーなんですよね、だから凡夫は救いがたいと仏様も仰るわけですが、少なくても生きることを過大評価しないで見ると人生が楽になるのはホントだと思うのであります。

あっ、悩みあった・・・けどそれは内緒です、なんちゃって。










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雪が降った ぞ

2021-04-09 08:51:10 | 日々の雑感
あれです、昨日が小学校の入学式ってことで、昭和の頃の我が家地方では桜咲く入学式に雪ってのはほぼ常識だったので久しぶりに来たかと桜雪を愛でた次第であります。

と、いうことは、今朝は寒かった。
ヒーターのスイッチを入れた時の部屋の温度が八度ですから外気温は三度か四度ってところでありましょうか。

昨日の夕方、霜が降りるのは必至と思いネギと豆とレタスの苗にカバーを掛け保温したんですが面倒がらずにやって良かったと安堵しているところであります。

朝からずーっとNHKを見ておりました。
あれです、寝起きにラジオのニュースを聞いているんですがあれはテレビも同じ原稿でして一字一句違わずに語るのであります。
なので画面を見るときには既に中身を知っているのでありますが、文字と映像が入ると印象がすごく変わる訳で、表現というか、言葉って面白いなと思う訳であります。

今朝違和感を持ったのは「まん延防止」でありました。
ラジオのニュースだと「まんえんぼうし」な訳ですが、自分は脳内変換して「蔓延防止」になっている訳であります・
しかし、テレビの画面では「まん延防止」でして、何故にそこだけ平仮名なんだ、と思った次第であります。

で、ついでに言うと「蔓延防止」と感じで書いた方が受け取り方としては堅くて重いと思うんですが「まん延」と平仮名になった途端にどこか崩れると思うのは私だけなのでありましょうか?

で、自分の読みとしては、政府は「蔓延」の蔓が「漫画」の漫に似てるんで迫力が無い思ったのでは無いか、なんてことはありませんかね?
それとも、一般国民はバカなので読めないから平仮名にしてくれたのでありましょうか、なんちゃって。

いや、「まん防」の表記は笑えない話だと自分は思うのであります。

あれです、家の近所の田んぼや神社周辺に行くと天保の大飢饉に関する石碑とか墓石が転がっているんですがしっかりした文字でも自分は読めないのであります。

天保の飢饉といえば僅か180年前なのに草書体の石碑の文字を読めないのは私の教養の無さといってしまえばそれまでですが文字そのものや言葉遣いも変わっているんだろうなと思う訳であります。

ああ、自分が生きて行くのに絶対に無用だと思った古典と漢文の授業を今一度受けたいとしみじみ思う今日この頃ですが、まっ、そう言う趣味の勉強は自力で地味にやった方が面白いんですけどね、なんちゃって。

窓の外を見れば薄日が差しています。
が、本日の最高気温は市内で10度とのこと。
山沿いの我が家だと二桁に届かない訳です。
ならば、まだ少し昨日からの不調を引きずっている身としては仏様から頂いた読書日和ってことで積ん読を現読に変換しようと思いますが、何を読もうか、そこからであります。



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